映画の話

映画 覚え書き

上海特急

先ほど観た藤田敏八の実録不良少女 姦の 日夏たよりを不良少女の夕焼けー沈む太陽だとすると、マレネーディトリッヒはどこまでも画面に広がる黒いしみー真夜中のプールなのだ。そういった意味でhgクルーゾーの悪魔のような女や情婦マノンなどアメリカ映画におけるgoth=ギャルの概念を先鋭化させたフランス映画として今はっきりと認識できたし、ハリウッド女優のgoth感がくっきりしてきたのはラオールウォルッシュやフィルムグリ特集からだったけども、元はサマセットモームの雨なのだ。どこまで主演女優を画面における黒いしみや心霊写真めいた不吉な影に出来るか?ルイズブルックスパンドラの箱。マリリンモンローの荒馬と女もそうだし、ドイツ映画の表現手法なのか?と段々とこの特集で顕になってきたが、日本で言うと黒沢明の叫で、この映画のマレネーディトリッヒの顔の露出や輪郭の感じと葉月里緒菜の表情のパーツを被せ出来ている事に黒沢清の演出の面白さがあったように思う。つまり、葉月里緒菜上海特急のディトリッヒに似ているな。と思いながら映画を観てるうちに悪魔のような女のプールのシーンが蘇ってくる。つまり、黒沢清にとっての湾岸のロケハンがJGクルーゾーの悪魔のような女の寄宿学校なのだ。そこから、ドイツ占領下のフランスとGHQ管理下の日本の戦後民主主義体制の象徴としてのお台場まで無理矢理こじつけた時に、薄らと木下恵介女の園の映画のサブリミナル効果まで無理矢理繋げてもいい。そんな意味でも木下恵介戦後民主主義体制に肯定的な線中派の監督であるし、だからこそ木下映画を観る時にアメリカンニューシネマの原型を観ているような感じに囚われたり、PTAやウェスアンダーソンやコーエン兄弟木下恵介的に感じられたりもする。話はそれたがラブストリームなどのジーナローランズの常に発狂しているような演技や太陽は知っている。のロミーシュナイダーやジェーンバーキンの奇妙なギャル映画のメンヘラぶりにヨーロッパ映画の歴史を発見できたし、逆に日活ロマンポルノの藤田敏八金八先生というか、あいみょんとか桃井かおり系夕焼け不良少女映画の独自性の面白さが今になって際立ってきた。つまり、不良少女に敗戦の中立ち上がる夕焼け日本と月が沈む黒い夜のプールとしてのアメリカ民主主義をアメリカの古典映画のギャルに背負わせる構図まで気付いた時に、会田誠のギャルシリーズが段々と焼け野原と夕焼けに染まっていく連作の創作過程の流れの意図も薄らと見えてくる。
木下恵介鈴木清順鈴木清順大島渚の互いの作風に対する反発も、映画の中に、何処まで敗戦の記憶と戦後民主主義体制を意識するか?という意味において、鈴木清順の「映画というのは商業娯楽でありアートではないから何をやっても良いんですよ。の意味に自分の作品に戦後民主主義に対する思想に対するネガティブなプロパガンダはそこまで無いですよ。みたいな意味なのか?と気付きつつ、やはり清順映画は右翼的な感じで観てテンションが上がっているのだと思うし、そんな意味では大島映画は左翼娯楽映画だからひねくれて理屈っぽい部分が面白いのか?と思う。スパイクリーのひねくれた表現にも何処か似ている。

なんとなく日本が貧乏になる事と日本のアメリカによる植民地化を結びつけるのは卑怯なのか?なんせ、朝鮮戦争をきっかけにあれだけ日本の景気が回復し、その後 日本の高度経済成長はあれだけ維持てきたのだから。占領下と言えば、ずっと今も昔も変わらず占領下なわけやから。と思いつつ、その思想に囚われる事が思想のドイツ映画化なのだ。つまり、ネガティブ思想を娯楽化しメロドラマに酔う事自体が古いドイツ映画のノリなのだ。