無理すれば2本いけるかな?と思ったけど、結局、家事して猫を病院に向かいに行く時間ギリギリになってしまったので、やっぱり1本が限界だ。
この映画は、フイリッツラングのメトロポリスや悪魔の住む街、の元ネタになってるだけでなく、時計仕掛けのオレンジやエレファントマンなど真逆の話の元ネタになっているし、シオマドクの罠の真逆の話になっているし、チャップリンの街の灯と独裁者をまぜたみたいな感じになっているので時計仕掛けのオレンジの衣装がチャップリンなのかな?と思いました。
あと、モトリクルーのシアターオブペインのジャケ写に使われているお面がここからなのだ。と知りましたし、ドイツ映画の画面の闇の部分に常に何かの存在を感じさせる演出とサイレント映画の言葉なしで状況を伝える為の役者のくどい反復の演技とメクラや口裂け男などの身障者の社会的立場と貴族や芸人という特権階級の社会的閉塞感など、歪な概念全てが綺麗に調和しているせいで、クラフトワークみたいな役者のくどい演技に何度も号泣した割に映画を見終わったら何の感情も場面の記憶も残っていない。みたいな時代劇を観たのに宇宙人に薬を打たれた人。みたいな不思議な感覚があった。今思うとパウルレニの裏階段や最後の警告もそうで、フイリッツラングやシオマドクなどドイツ映画の雰囲気の大元をみた感じで定着しつつある。パウルレニで始まりムルナウで洗練されたドイツ映画がフイリッツラングで古着化し、アメリカに渡ってハリウッド大作映画の大元になった。みたいな。
ムルナウは映画として普通に面白いが、パウルレニやプレミンジャーなど格調高い古典とスカムゴミ映画が合体した。みたいな特集を観続けるのは、ネオリアリズム特集やロシア映画特集などを観続けていた時の不毛さに似ている。以前は、最近の話題作や邦画と併用してこの手の映画を観ていたので、古典と邦画や新作がリンクした時、脳内で異常何ドーパミンが出て、自分なりには楽しく文章が書けていたが、古典 週末二本くらいのペースだと、独身中年男が肩を落として松屋の訳わからないマイナーな定食を食ったような感覚になる。それで、今週もつまんなかったな。と思いながら飯の片付けをしていると、退院したデブ猫がおもちゃを咥えてやってきて、数値的には入院させるか迷ったり点滴させてる事の罪悪感と無駄遣い感あったけど、やっぱり身体はずっと辛かったんやなぁ。と自分の選択に初めて自信が芽生えつつ、本当につまらない週末の中にある幸せ。みたいな暮らしこそ、日活ロマンポルノやかびやホコリの被ったような古典映画など、いかにもイケてないオタクがみる映画に生活の質が見事に綺麗なハーモニーで調和していて、自分自身を生きてゆく。というのは若い奴等におすすめできる事ではないし。若い頃から自分自身で生きてたら童貞のまま死んでいたんやろうなぁ。と思った。