映画の話

映画 覚え書き

ドイツとエロ

先週リリーさんがラジオで、ドイツ時代のビートルズの曲をかけ始めた時に、矢沢永吉かジョーニー大倉の自伝で、キャロルの革ジャンにリーゼントのスタイルはドイツ時代のビートルズのファッションを参考にした。みたいな話を思い出しつつ、kornのtwistのアルバムのわけわからん気狂いみたいな喋りもドイツ語らしい。みたいな話も同時に思い出した。オードリー春日が電気グルーブばかり聴いている。みたいな話をラジオで聞いた時に、自分は電気グルーブのjpopからmodel500(ホアキン アトキンス)ばかり聴いていたので、そういえばデトロイトテクノの重鎮がアメフト部出身なのを思い出したり、高校生の頃 よく遊んでいたラグビー部の後輩のクラブでのノリなどをなんとなく思い出しながら、大学生の頃 シャブ好きのDJの娘からデリックメイやロッテルダムテクノなどのCDを貸してもらっていた事も思い出しながら、今回のドイツ表現主義映画祭や過去にみたウルリケオッテンガーやファズビンダー作品を思い出すと、ドイツ映画とは1作品1作品がマーベルコミック的であり、ニューヒーローやニュー概念の樹立なのかな?みたいなわかりみがあった。そして、変態的に見える事とニューヒーローの樹立というのは、ほとんど同じように見えてしまうのだ。という側面から、非常に哲学的でありテクノ的であるけれども、同じ変態的やエロという意味で日活ロマンポルノと肌あいが全く違うな。と思いつつ、自宅にある山上たつひことか望月峯太郎とか寺沢武一とか見ているとガロとか蛭子さんのエロ漫画の影響が、江口寿史(正直 江口寿史鳥山明浦沢直樹に比べてそこまで手塚治虫的ではないが)とか吾妻ひでおのラブコメ漫画の感じの少女が手塚治虫的であって手塚治虫の描く女性がマレーネディトリッヒとかルイズブルックスとかドイツ映画的な女性のフォルムや概念に変化していく事で70年代から80年代のエロに変化していく感じが、日活ロマンポルノからドイツ的な変態にシームレスに変化していく学生エロの意識の変化の面白さあるな。と思ったりしました。澁澤龍彦のサド公爵のなんちゃらみたいな本や江戸川乱歩は日活ロマンポルノ的な雰囲気とドイツ哲学的な雰囲気の両方のイメージを網羅していたけども、あれが大正時代の流行だったのかな?と思った。歴史的に、日本とドイツが政治的にあそこまで繋がっていた時期はなかったわけだし。
そんな意味でオードリーのラジオで、若林が春日の話をし春日がベンツのメンテの話をし続けていた意味も、ここにきてようやく鉄人28号やアンディウォーホールフランケンシュタインに薄ら繋がっていってるんだな。と気付いたし、いつの間にか呂布カルマがインドに被れていて驚いた。つまり、もうサイケやヒッピーの方法論は擦られ過ぎて廃れたかな?と思ったら、ドイツやテクノ側からどんどん復活してきてるのだ。その感じが、たったひとつの冴えたやり方的でもあったし、先週みた 復讐するは我にあり。の実家に預けた嫁の倍賞美津子を、殺人や詐欺や逃亡生活をする間に徐々に忘れ小川真由美に拘泥しながらインテリ大学教授のフリをした詐欺師として別人格を生きる緒方拳という、アメリカのヒッピー時代からヤッピー時代への政治的転換と重なっているなと気付きました。そう考えると、あの映画一本で、ロバートアルトマンのロンググッドバイとプレイヤーの2本分愉しめる部分もあったのかな?と思ったりもしました。

今こそ、石原良純主演 蓮舫 小池百合子で実写版エヴァンゲリオン大日本人〜18禁成人映画リメイクをやるべき時だよ!ride on タイム〜🎵
ここまで書くと、本当に気分が白けてくる。