映画の話

映画 覚え書き

毒薬と老女

キャプラにしては、つまらなかった。アメリカ人はビートルジュースとかホームアローンとかポリスアカデミーみたいなノリが好きなんだろうな。と思った。
プリシラレインはケリーグランドとトーンが合っていて良かったですね。そこにピーターローレか入ってくる。

結局、マイケルジャクソンのスリラーとかLL cool Jのbadとかの映像的なノリがこの映画なのかな?と思った。そういう意味では、鈍臭いヒズ ガールフライデーっぽくも見えるし(スクリューボールコメディ)、断崖や汚名のヒッチコック的な不気味さもある。というケリーグランドという役者の多面性が出ている事で、後のLL cool JとかMJのスリラーみたいなブラックミュージックの跳ねた音とホラーサウンドの融合に繋がるーつまり ジョンランディス狼男アメリカンみたいな作品の原型という感じもした

あと、今回の特集中ずっとキャプラをずっと裏ファズビンダーみたいにして観てきたので、最後にキャプラ作品自体が反転したものが見れて良かった。イタールオセアーニを裏ダリオアルジェントみたいにして観てた時も良かったが、裏と表が反転する事がノワールからスカム映画や香港ノワールへと続く道なのだ。
ノワールも最初はギャングや一般人の完全犯罪、不倫、ロマンポルノみたいな話が、アジアンノワールに至って、浪人生やうだつの上がらないサラリーマンも憂鬱だからノワール。みたいな感じになって、自分のつまらない日常をわざわざ金払って映画館に追いかけるようになった時に、ツイッターにおける政治プロパガンダ性というか、ミイラ取りがミイラになる側面に気付き、初期のドイツ表現主義ーフイリッツラングのMとかパウルレニ、ムルナウのシステマティックな映画の意味(世間に対して感情をぶちまけていく行為で自分が自由になっているようで、逆に巨大な自分が認識できていなかったシステムの一部にとり込まれていく感覚ーみたいな閉塞感の無限循環)に気づく部分がある。黒沢清作品もそこを意識して作られている。なと、最近の映画の予告編を観て感じたが、昔のカリスマとかはあそこまで露骨な表現でなく、映画館で観た時「何これ?思わせぶりで意味わからんし怖さも甘くて一部スポ根やギャグに走ったり、アートぶってムカつくな」と思ったものの、帰宅してからスポ根や寒いギャグや安い恋愛感情や拒絶や優越感に走ったりしている登場人物達の映画内の表情があの乾いて平和な世界観の中でめちゃくちゃゾッとした記憶としてなんとなく記憶に残り続けている。似た怖さの作品に勅使河原の落とし穴や怪談 艶話 狂恋女師匠などがある。
要するに学生時代の部活で、ひとり完全に頭の狂った奴が誰からも指摘されず何事もないように練習に参加している。みたいな感じの不安だが、これは、自分自身が常にチームの中で練習についていけているのか?脱落するのではないか?という未来への不安の潜在意識であり、この学生時代の不安がこの歳になっても何処かで続いている為に、逆にサンドイッチマンやオードリやハライチのラジオが何処かで安心して聞いているが、カズレーザーとか呂布カルマのラジオを聴いている時の笑いながらも芽生えてくる一抹の不安ーこのグループの会話の流れは部活や肉体労働系の思考回路ではないーみたいな潜在的な恐怖なのかも知れない。この心理を上手く利用したのがナチスファシズム政策なのか?と思った。だからこそ、澁澤龍彦の世界悪女物語のゲッベルズの嫁のファミリーストーリーみたいな話は割と興奮して読んでしまった。リアル版 村上龍の愛と幻想のファシズム。みたいな。要するに悪徳ロマンシズムと部活のスポ根みたいなのが繋がってて70年代的日活ヤクザ映画とかロマンポルノなノリなのだ。