映画の話

映画 覚え書き

夜の外側

猫の具合が本当に悪くなってしまって、このマルコヴェルッキオの映画が最期の一本になってしまった。そして、大作の割に面白くなかった。
僕が面白かった。面白くなかった。みたいな意見など全く無意味であるようなお盆最期の休日の月曜日の観客はひと回り上の社会的成功者と思しき老夫婦やデザイン事務所社長や芸能事務所社長みたいな渋谷区や代々木上原界隈の特有の富裕層の雰囲気で彩られた映画館内の世論は、社会の鬱憤や不満の為にマキャベリイズムとでも申しましょうか?イタリア政治的権謀術数に嵌められてテロというか政治の犠牲者となって十字架型にデザイン化された死ーこの首相ーに自身の姿や安倍晋三を重ね合わせたのかもわかりません。僕は、ミソゾニストとして貧乏テロ夫婦の目線で映画をみていたので「首相誘拐暗殺テロの話なのに、物語の背景や前後のお爺ちゃんお婆ちゃんの話長過ぎィー」などと思って寝落ちしそうになってしまいました。

やはり山上事件の映画化や記事化に対して安倍晋三ファミリーヒストリーなども交互におり混ぜて物語化した方が、より多角的に事件を検証出来るわけだが、もちろん検証や分析をされたくない。という層や政治的圧力も存在するとは思ったのと、そんな難しい話よりは黒沢清ホラーみたいな捻くれた芸術的画面の方が好き。みたいな人生経験の浅い 僕らのようなサブカルおじさんの心にも響かないーそんなんで闇金ウシジマ君的なアプローチのが集客率は高いドラマーにはなってしまうと思う。そんな意味でジョナサンデミの羊達の沈黙の発想は、誰も傷つかない安全圏から皆んなが多角的な目線を持つ社会の成功者や天才ぶれる革命的なエンターテイメントドラマの作品だった。と、黒沢清濱口竜介がcureについて語る。のyoutube動画を観ながら思ったりしましたし、濱口竜介がインタビューアーになる事で黒沢作品が100倍観たくなる。よいプロモーションだと思いました。
後、やっぱりジョナサンデミ特集の時に愛されちゃってマフィアとか見れたの良かったな。と。ただ、あれでジョナサンデミの深みに触れると、キラーゴーも見ておけば良かったな。となるし、あの当時はボギーノーマークだったけども、ボギーもある程度みると、ローレンバコールとの絡みも見たくなるし、更にいうと監督がヒューストンだから、先日の禁じられた情事の森のマーロンブランド繋がりの欲望という名の電車地獄の黙示録。荒馬と女の クラークゲーブルとマリリンモンローなど、アメリカンニューシネマ前夜の映画とアメリカンニューシネマ以降のジョナサンデミやフィンチャー。はては、ウェスアンダーソンに繋がる感じ。と、オールナイトニッポンのオードリー若林の喋り方がcureの萩原聖人の感じの劣化パロディっぽく繋がる感じと、cureの萩原聖人の喋り方が野獣死すべし松田優作やその男凶暴につきの白竜の劣化パロディみたくなっていっている感じも含めて、アンディウォーホールのマリリンモンローの荒いシルクスクリーン村上龍ビニ本関係者を語るエッセイと勝手に連想づけて楽しみながら、オードリーのラジオを毎週 聴けるのではないか?とも思う。結局は、リコリスピザって事ですよね?その意味がjayzのdead presidentの意味であり、夜の外側とパウルレニの笑う男とジョーカーシリーズまでの繋がりとみなして、夜の外側の感想も閉めたいと思う。
と思いつつ、逆にカメラの対象が一作ごとにどんどんボケて遠ざかっていくホウシャオエンみたいな監督もいて、村川透野獣死すべしとホウシャオエンの憂鬱な楽園の比較も面白いと思う