ようやく、野獣死すべしのブルーレイが届く。久しぶりに観てみると、冒頭の高架下は椎名町駅と山手通りがぶつかるトコの高架下なんじゃねえかな?という所が一つ目の萌えポイントです。そして、マル暴刑事の偉そうな日常を盗撮みたいな感じで撮っていって、その後の土砂降りの雨の暗殺シーンがヘリで空撮したみたいな感じでどんどん引きのカメラになっていく感じが、子供の頃 毎日夕方観ていた ちばてつやのキャプテンのオープニングの夕焼けのシーンの記憶が蘇ってくる。その後、安岡力也と松田優作の殺し合いのシーンを経て、ようやくオープニングのタイトルバックが出てくるとこまで完璧だったが、その後 松田優作が引きこもりオタク少年みたいな感じで自宅で大音量でクラシック音楽に酔うシーンのナルシスティックな演技が冗長でキモ過ぎて、再生をストップする。
それにしても、松田優作が拳銃で安岡力也を何度も撃って殺した後、興奮しすぎて拳銃を撃った右手が硬直化し、左手で拳銃を握った右手を無理矢理引き剥がすシーンの演出の細かさには痺れたが、実際に拳銃を初めて撃って殺人を犯した時にこんな感じになるとも思えないし、これが松田優作の異次元の演技なのか?と思った。これはキリスト教の右の頬っぺたを殴られたら左の頬っぺたを差し出しなさい。の比喩なのか?とも思った。つまり、セルジオレオーネやダーティーハリー。遡れば、2丁拳銃や殺し屋ネルソンなどのドンシーゲルなどのマカロニウエスタンの演出そのものが十字架の美学に貫かれた西洋キリスト教文化である。それゆえのフェラーラのバッドルーティンからタランティーノのパルプフィクションやスパイクリーのクロッカーズに至るまでハーヴェイカイテルの演技こそ、マカロニ キリスト教の布教活動なのだ。だと言う事が先日のヴェロッキオの夜の外側をみてもよくわかる。