久しぶりにグルダット「乾き」を観る。再見してみて、白黒映画なのに黒がめちゃくちゃ緑っぽいのと、インドっぽい日差しの強さに驚いた。話は少し逸れるがリリーフランキーの松田優作 追悼番組動画を先程見直してみると仙元誠三が出ていたのを知って驚く。僕はシネマヴェーラで「貴方は仙元誠三を知っていますか?」特集で、仙元誠三ブルー。とも言うべき、独自のブルーの画面に魅せられ(実は子供の頃、夜一人で留守番してて火サスなどで何度もこのブルーの画面を観ていたのだが、毎日 幼稚園で虐められたせいか嫌な気分になっていたものの、18くらいでキタノ映画が流行りだして この70年代的な陰鬱なブルーが90年代に大好物になったのだと思う)そこで このカメラマンの撮る映画の雰囲気にどっぷりハマったのだが、自分でamazonを検索しながらdvdを買い漁っても、このような映画文化の裏を流れる深みに触れるような事は全くない。要するに、自分で自発的に何かに気づいたり情報を掘り下げる力がない。馬鹿なのだ。
このグルダットにしても、中原昌也とか蓮實重彦が薦める映画を訳もわからず20年前くらいに買い集めていたモノの一つで、正直言うと、当時はあまり面白いと思わなかった。
ちなみに、今 よくわかないのに買い集めた作家にツアイミンリャンがいる。それらが届くたびに「???」と思いながら「これ買った方が良かったのかな?どんどん作品が新しくなる度にわからくなるけど。無駄遣いじゃないよね?わかんなすぎてアート的に優れているんだろうけど...」みたいになっている。
そんなこんなで、hiphop黎明期のtei towaとか DJ masterkeyとかヒロ杉山とかキムラコウとかのNYの話を聞くと面白いのが、自分の行動がムーブメントになると確信して他人から見て当時わけわからない行動をとっている人と周りの空気にひっぱられて大御所になっていった人がいるが、やはり周りの意見に左右されないで自分自身の力でどんどん行動をエスカレート、深掘りしていっている人にどうしたら成れるのか?金や行動が制限される。つまり貧乏になると、余計に自分の感覚や選択の幅が制限されて自分自信の選択に自信が持てなくなってきてカリスマみたいなものの意見や存在感にいたずらに縋るようになるものです。つまり、これが愛と幻想のファシズムなのだと。結局、村上龍の小説の主人公は、コインロッカーベイビーズ→愛と幻想のファシズム→コックサッカーブルース→オールドテロリストと、どんどん自分の感覚に半信半疑になっていく。老いて弱くなっていくヒーローもの。として考えていくと、そのままに作品群がアメリカンニューシネマでありヌーベルバーグ的なのだ。
そんなこんなで、僕は松田優作はそこまでハマらなくて、松田優作なら、むしろ伊丹十三や内田裕也のが不思議な役者感あるよな。と思いながらも、ずっと松田優作や加賀まりこや高倉健のDVDを買い漁ったしているが、「毎回 、これ失敗じゃない?むしろ、大原麗子やショーケンや鶴田浩司のDVD集めた方が良くない?」みたいに思いながら、無理矢理、加賀まりこやリリーさんが薦めている。みたいなチンケな理由だけで松田優作のDVDを見直したりしている。
陽炎座も東京流れものや肉体の問。ハイティーンヤクザ、全てが狂ってる。の頃の清順と比べるとドラマ性のないアート的な作風のドライブ感のなさに自分は見劣りがしつつ、松田優作と清順だし。みたいな理由で未だに無理矢理 理解しようようとしていたりする。そういえば野獣死すべしを観た時に松田優作が打った拳銃の硬直した指を左手で無理矢理引き剥がす行為がひどく印象に残ったが、ネプチューンの名倉さんによると、確かに松田優作をリアルタイムで観ていた世代も松田優作の指先の動きにひどく魅せられていたようだ。いまでは、指先の動きを綺麗に魅せる役者さんなど沢山いそうだし僕もその事を名倉さんが指摘するまで気にもかけていなかった。
あと、爆笑問題の太田さんがドデスカデンの伴淳三郎の演技について語っていたが、僕ら世代だと、長渕の演技のイメージが強すぎて伴淳三郎を初めて観た時に古さや臭みを感じるし、番匠の振り向いた花嫁などを観てから、ドデスカデンに入った方がスムーズに太田さんのトークの世界観に入っていける。だろうな。と思ったりしつつ、番匠の話してからドデスカデンの話をすると一般の人からするとめちゃくちゃクドくなるんだろうな。なども思ったりする。逆に、長渕世代にとって木村功の密告とかのヤクザ役などは元ネタを発見したようなスムーズな喜びがあると思う
結局、凡人は10年後とかにいきなり過去購入したDVDの価値に気づいたりするからだし、その時になって凡人には手の出ない金額になっていたり絶版になっている場合もあるものの、じゃあ現在のお前は毎日 来るべき日の為に今は面白くない娯楽をせっせと買っては消費しているのか?みたいな話になり、まさにそれが娯楽に限らず仕事や恋愛全ての面において日本の凡人の人生なんやろうなぁ。と思う。
あと、hiphopやお笑い芸人の人が若い頃からずっと同じメンバーで活動を続ける事がhiphopなのかな?と思う。普通、サンプリングとか編集作業のテクニックに囚われすぎると、古いものを捨ててどんどん新しい血をいれてテクニックを劇的に更新したくなりそうにも思うし、そうすると自分の初期衝動やテクニックも浅くなってだんだん自分の今 掘り下げているポイントが自分でも分からなくなってくる。
ただ、それが凡人なんだろうし良き消費者ではある。マス側なんだろうな。実際 自分も映画館が操縦する文化の船に乗っている間は、こういうややこしくて無駄な事を考えずに有識者の選ぶ一本として、面白くてもつまらなくても、一つ一つの作品に集中して向き合い自分の考えに方向性をもたす事も出来ていた。
それが自分でamazonと一対一で選ぶ限り、常に半信半疑の不安が付き纏う。自分に対しての自分の凡庸さとかつまらなさ。との格闘なのだ