中原昌也が薦めている。みたいな理由で、ブニュエルやファズビンダーのDVDを昔だいぶ買ったりマリオバーバーやジョルジュフランジュも上映されてたらマメに見に行ったり、微妙にグロいだけであまり面白く感じなかったけど、濱口竜介がアカデミー賞とって黒沢清やエリックローメルが再評価されて何度も特集されるような流れになって、ホラー=ヌーベルバーグ=アメリカンニューシネマ=50年代のアメリカのノワールに俺も含めて凡人の映画オタクが詳しくなってくると、最初のブニュエルとかファズビンダーとかイタールオセアーニの価値が爆上がりしだして、結局は中原昌也チルドレンなんだな。と思うし、これらの良さというのがフィフィアンドマリーの虐殺ハンドブックの文章の雰囲気に回帰していくモノだったな。と思うわけで、90年代ギャングスターラップに飽き始めた入口のところに中原昌也とニップスのコラボ楽曲やecdのオーメンのサンプリング曲、k dub shineのスター誕生の雰囲気を、ずっと自分の中でhiphopだと思いこんで、その方向性だけでhiphopを捉えてしまっているわけだし、実はhiphoやミクスチャーをKORNとかgothみたいな感じで勝手に捉えているだけのリスナーなんだな。と思った。
その狭い部屋に閉じこもって、勝手に現在 活躍しているkohoとか呂布カルマとかzebraとかredeyeとか有名なラッパーらの発言を聴いてるだけなんですね。それは、今、実際 現場で進化しているhiphopの現場の流れとは全く関係ないものだし、更に言えば過去の中原昌也の軌跡を何度も擦り直して再生しているだけで現在の中原昌也でもない。みたいな。これは、スクラッチではなくて壊れかけのラジオリスナーなんですよね。
やっぱり、デーモン小暮閣下の「お前を蝋人形にしてやろうか?」というライムは滲みますねぇ〜