ピースのトークの魅力された点は、hiphop業界の通常のプロモーションと違って、大正の無頼派作家っぽいピースの又吉が英語を喋れない浅いアメリカ文化の知識をひけらかす駄目な帰国子女のサンプルっぽい綾部を小馬鹿にしたようなテンションで聴いている空気をピースの綾部がゆっくりと徐々に徐々にひっくり返していくパフォーマンスに石井輝男がタランティーノに与えた影響なみのカルチャーショックを受けた。
madvillianでmadlibがMF doomと組んだ作品で映画のシーンをサンプリングした音源が好きだったのと、村上龍が限りなき透明に近いブルーや愛と幻想のファシズム。や昭和歌謡大戦争。中原昌也や宇川直弘、河村耕輔などのコラージュ作品に触発され、映画批評そのもののコラージュポエムみたいにすればラップっぽくなる。と思いながら、映画を見続けていたが、最近の芸人さんや台湾や中国映画が自身の存在自体をサンプリング化しストーリーテリングする手法のスピードの方が早すぎて、これだったらDVDを買い集めたりするより、限りなく芸人さんの喋ってるフリーの音源を漁りまくって厳選編集した方が早く映画のシーンをサンプリングしたmadlibの手法の一つ上のレベルにいけるな。と思った時に、それは結局、バスターキートンとかチャップリンとかの初期のボードヴィリアンとかコメディアンがスタントしている手法の映画の原点に戻っていっている。わけで、ここで僕は日本のhiphopのアメリカ文化のポジティブな面を具象化したマッチョイズムやルッキズムのポップな一面を逆側のフランス古典映画側からトンネルを掘って検証しようという試み。ウェスアンダーソンや黒沢清がやっている事を、今の芸人さんのトーク集を厳選して立川談志とかの古典落語の巨匠と抱き合わせで売る商品とセットで発売しても面白いし、その商品に皆んなが精通しその方法論が完全に分析される事で新たに曲がったサンプリング表現が確立されていく流れがhiphopの発展した路。なのだろうと、なんとなく推論できた。つまり、hiphopとは、恐らく資本主義が高速化や加速化された事で起こる自然発生的な副作用なので、ナチスドイツ時代におけるユダヤ人映画監督の活躍とその後のアメリカ亡命後におけるハリウッドの原型と、そのハリウッドの原型を批評しサンプリングするフランス ヌーベルバーグの巨匠の手法を日本映画のサンプリングで2重サンプリングするタランティーノみたいなサンプリングの構造化をどんどん言語化や体系化して、一つのブロックの音として組み合わせたものか、90年代のアメリカのhiphopなのかな?と先週のDJ kaoriのNAS特集を聴いた時に、nasというのはマッチとかシブがき隊とか少年隊みたいな雰囲気の楽曲における声質の側面が確かにあるな。と思った。それは、電気グループにおける卓球の声とデトロイトテクノのmodel 500やアンダーグラウンドレジスタンスの日本の80年代のアイドルソングっぽい楽曲の雰囲気が何処か2010年ごろの僕には喋りが早すぎてついていけない日本の有名ラッパーのアッシャーみたいなR&bっぽいオケでラップするヤツを先取りしているもののように聞こえてくる。
結局、サンプリングを重ねる事によって油絵のように絵に深みが増すというような事は言葉や概念やAIでは起こりえず、どんどん凡庸でチープな表現になる。という呂布カルマの煽りは、我々 凡庸な日本社会の安月給の大卒負け組サラリーマンの住民達が常々 サブリミナル効果として日々 無意識に刷り込まれていっている現実でありつつ、擦られすぎて浅くチープになっている領域に突然 浅いままの姿で圧倒的な存在感のまま 飛び込んでくる概念が天才なんだ。と思った。次は天才だけのサンプルをデータ システム化すれば天才は人工的に作れるのか?という事をやっていたのがイエローマジックオーケストラのライディーンとか戦場のメリークリスマスを聴いたり、大島渚のメリークリスマスやキューブリックのフルメタルジャケットを観る面白さ。なのかな?と思いました。
そこまで考えてジャンルノアール作品か見えてくる面もありつつ、キューブリックは2001年や時計仕掛けのオレンジ自体が素晴らしき放浪者のサンプリングでUターンサンプリングになっている部分も見どころかな?と思った