映画の話

映画 覚え書き

ラジオ

先週のナインティナインのラジオのゲストがトムブラウンとレインボーだったので、そこから、トムブラウンのpodcastばかり聴いてるうちに週末になってしまった。その間 ヤーレンズpodcastも語感が気持ち良くて合間に何回も再生して聴いていたのが、トムブラウンのトークのリズムとは令和ロマンみたいにシンクロしないので両方ザッピングして聴けないな。と思いながら、ヤーレンズとトムブラウンがほぼ同期でオードリーとハライチとカズレーザー。その上にtaigaさんやペコパがその一つ上の世代のグループで、その上にピースやその上に千鳥がいたり、小木矢作やアンタッチャブルやクリームシチューまでで15年くらいお笑いやhiphop情報が僕の中でストップしていたので大分 キャッチアップできた。

ゼット世代をゼットnというクダリや、マケレレ松井秀樹で韻を踏んでいたり、あとrootsの proceedっぽいクダリもあったり色々と気付きつつ、呂布カルマのツイートに街裏ピンクが紹介されていたり、omsbが定期的に大喜利ツイートしていたり、20年くらい前にhiphopレジェンドと有田や山崎が深夜番組をやっていた頃からすると、比べられないくらいに、rapperの技術がお笑い芸人に分析されている。だから、ヤーレンズを聴きながら2pacのwhy you call bitchを聴き直してみると、2pacのライムの前半と後半で意識的に前半部分の濁音の発音を弱くしてラ行やワ行を強めにしている事なども気付いた。
また、トムブラウンのヴィーガンの布川論理が理解出来なかった為に同じ回を何回も聞き直していたのだが、何回か遡って聴いてみて、初めてビーガンとルナシーとクリスマスツリーの繋がりがわかってきたのだが、そこまで深く人の言葉を追いかけてみて、もはや洗濯機の回る音とか車がバックする音とかも言語性を持ち始める事に気付いて、ギャングスターの新譜を聴いたりプレミアの過去の音源を振り返るうちに、ハライチのイノアッくんのコーナーと全く同じ感じでスクラッチとラッパーの機会的なイントネーションの啖呵の調和ぶりを分析してみたり。どんどん研究材料は無限に増えていくだろうなぁ...と思いながら、最終的に又吉のyoutubeを観たりしながら、掘り下げるのも面倒になってしまった。

そこで、ようやく、映画の話を、しようと思ったが面倒くさくなってしまった。また、頭の中がまとまった時に書こうかな?と思う。

ただ一つ言えるのは、井上三太があんのことについていかに自身の漫画を描く事の社会的役割があーだーこーだ。と言ったことを話している時に、オーソンウェルズの新しいDVDを買って良かったな。と思った。結局は、井上三太羊たちの沈黙のジョディフォスターみたいにあんのことの感想を喋っている時に、結局 オーソンウェルズは役者であり映画監督なんだ。という事のアメリカンニューシネマ前の時代の映画人のエモ表現の凄みと、自分で作った歪んだ世界を自分で演じる事で文学的になっているわけだから、つまり実話悲劇を元にフィクションを語るネオリアリズモ的手法の限界突破したものがウェルズでありジャンヌモローなんだと気付いたりした。つまりこれらの俳優は文學であり、それゆえに映画よりも文學や演劇が更に上の広大な世界観を持っている事に初めて気付いた。今までは、小説や演劇は前時代的なもの。映画の方が遥かにスペクタクルで新しいもの。という風に思ってしまっていた。それゆえに、2pacのアルバムの中に、銃で撃たれて救急車で運ばれるサンプリングとかと混ざって、シェイクスピアのジュリアスシーザーの台詞を朗読するイントロも入っているのか?と思ったりした。あれは、ギャングスターラッパーにしてはキューブリックのバリーリンドンみたいな古臭い表現で嫌だな。と今まで思っていた。かと言って、未だにあの表現の意図はよくわからんが。要するに、ロココ後期の貴族が髪を平成ギャル文化以上に盛っていた事。マリーアントワネットと女子高生監禁コンクリート事件と東海道四谷怪談。ジョルジュフランジュとシャブロル。鈴木清順夏目漱石のこころ。サシャギドリのデジレとロミオとジュリエット。など比較し続けるとキリがない。 ただ、hiphop史という事で限定して言えば、2pacのme against the worldとjayzのdead presidentは呼応している。ようにも思う。