よく日本のTVはお笑い芸人とアイドルとアニメ文化に浸りきってしまっているから白痴になってしまうんだ。みたいな事を言う老人がいるが、大晦日、元旦と猫も自分も体調が悪くて家事が全く出来ずにひたすら自分の見終わってないDVDを何本も観続けていたのだが、映画の世界に没頭して画面の奥行きが広がっていくにつれ本当に自分が頭が良いと思ってしまっている江戸川乱歩の鏡地獄的な白痴老人になったような沼にはまりこんだような恐怖感と恍惚感と倦怠感があった。
そんな中で
鈴木則文の多尾羅伴内を観ながら、ピースの又吉がスカーフェイスのトニーモンタナの格好をしながら小林旭の「霧の都会(まち)」を熱唱しているバックでボビーブラウンのroniが爆音で流れているシーンを想像したり
不知火検交を観ながら、勝新の不知火検交の頭の中にキューブリックの博士の異常な愛情のシーンが流れながら 勝新の顔がトランプに変化していったり絵を想像したり
ジャックターナーのキャットピープルがヘルレイザーとかピーターグリナウェイのzooとかクロネンバーグの戦慄の絆に絵がダブってる事に気付いたりした。
要するにいくらでも頭の中で芸能ゴシップ記事を捏造できるーセルフ週刊文春人間。みたいなのは、マスメディアによる集団洗脳は解けてんだけどよりパーソナルにポンコツ脳になった感があるな。と思ったりしつつ、長い事売れない芸人さんが自宅で金もなくコントのネタとかをひたすら考えている時に発狂したかな?みたいな恐怖を感じる瞬間はやはりあるんやろうなぁ。と元旦から思ったり致しました。
あと。加藤泰の陰獣を観ながら、色川武大の懐かしい芸人達の一節に戦時中空襲が酷くなってからでも浅草の寄席は営業を続けていて、そこで覚醒剤で完全におかしくなったシミキンのギャグが迫力があって良かった。みたいな話を思いだしながら、初めて戦後ハーワードホークスの映画を観た日本人は江戸川乱歩を観るような感じでアメリカのコメディを観ていたのかな?みたいに想像したりすると、坂口安吾の白痴や筒井康隆の作品もハリウッド映画的に読んでも面白いし、そこからLL cool Jのbad とかまで繋げると、LL cool J=ケーリーグラント説もまた 自論として、しつこく主張してみる。
確かに淀川長治先生がパラジャーノフのザクロの色を激推しする理由も、そういった昭和初期の時代の流行。みたいな事を想像する面白さ。ってあると思ったり致しました