中原昌也の新著を読んでいて、ビッグコンボをノワールの傑作。と評していたので1万2千円は高いな。と思いつつ、正月むしゃくしゃしていたので買ってしまった。こんな事を繰り返して、実人生はどんどん悲惨な方向に向かっているが、悲惨な人生にイライラしてDVDを購入し身体の具合が悪いのを忘れるほど良い作品に会うとまた購入してしまう。
そんな話はさておき、届いたDVDを観てみると画質が悪くて一気にイラッときた。我慢して最後まで観たが画質が悪い。
それで寝る前に、少し離れた場所から(ちょうど映画館の一番後ろの両端の席)TV画面を観てみると、不鮮明にみえていた俳優の顔よりも、むしろ画面構成の一部として俳優の顔がある事に気付き、そうしてみるとこの映画の一コマ一コマの機能美。俳優の顔も機械の歯車の一部。みたいな事に気付かされた。これと同じ手法がスパイクリーのモーベターブルースだ。
それで画質の悪い5〜600円のフィルムノワールばかりを幾つか買い漁って平日寝る前に少し観ているけど、とても楽しい。そして中原昌也氏による「この時代のノワールは僕も大変好きだが、この時代の機能美的なノワールを現代の最先端の技術を駆使して表現する映画作家に映画の未来はない。と感じる。」みたいな文章の意味が、初めてなんとなく腑に落ちる部分があった。
懐古趣味に溺れて、静かに死んでいく。イメージに酔いながら、この手の似たりよたったりな話を毎晩とっかえひっかえ見続ける。要するに、恋に恋している自分に酔う。みたいな感じで、爺いになっている自分に酔う。みたいな人間として駄目な愉しさがノワールの魅力だから、毎回 画素数が悪いのも不満だし、テンションが上がってくると高画質の映像が観たくなるけど、そこも含めて、わざと最安値のロークオリティな画質の絵を見続けるのも退廃の味なのかな?と思ったりもした。だからこそ、この時代の映画は、酷い画素数でも耐えられるほど画面構成や台詞のタイミングをかなり高い品質で作っている。