チタンがつまらなかったので、スキャナーズを久しぶりに観てみると チタンで納得いかなかった絵やシークエンスの全てが気持ち良いくらいにハマって楽しくなってしまった。それと、中盤のスキャナーのアート作品とか部屋の感じが増村保造の盲獣っぽいな。と思っていたが、今回観直すとHGクルーゾーの囚われの女の現代美術館のセットっぽい嫌さがあって、クルーゾーとクロネンバーグも比べて交互に観たくなった。
スキャナーズ自体は、今回見直してみて ホークス的なギャグ漫画の掛け合いみたいな感じのノワールアクションシーンもあり、その辺りの役者の表情や身振り手振りにもノワールからスクリューボールコメディを行ったり来たりするホークスの映画史がヒッチコックのスタイルに転換されながら、徐々に70年代のアメリカンニューシネマやサイケに移行していく中で イタリア映画史がアントニオーニーの欲望からダリオアルジェントの喜びの毒牙やマリオバーヴォのモデル殺人事件からクロネンバーグに進化していく過程を、今回の再鑑賞で実感できて良かった。
話は少し逸れるが、こういったスクリューボールコメディからアメリカンニューシネマ。そしてジャーロや日活ロマンポルノホラー(小沼勝)から黒沢清へと移行していく映画史を踏まえた上で、又吉の火花の後書きにある 伝説のコント「或る阿呆の一生」を朗読する回なども観てみたくなる事。と思う。
話を基に戻すと、ここまでスキャナーズを再鑑賞してみて、初めてクロネンバーグの呪縛から解ける。というか、titanのスキャナーズに比べて雑で強引な語り口もSFサイバーパンク映画の新しい語り口ーいわゆる新しい映画作家の味として新鮮な気持ちで、あの映画も800円で購入して損では無かったかな?と初めて認識できるようになったし、ツアイミンリャンの河。や西瓜との比較も面白い。と思う。そういえばロウイエの二人の人魚も現代劇なのに中国の古事みたいな感じと旧ソ連の近未来SFが融合したような不思議な感じがあった
ここまで話すと、時代は、雑な語り口(ヘタウマSFー文學で言うとケリーリンクとかSF小説と幻想文學の中間みたいなやつ)映画に新たな流行が移動しているのかも知れない。そういえば余談にはなるが、又吉動画でBKBが、このような幻想SF小説を書く 芸人仲間の本を紹介されていた。
確かに荒俣宏の編集のアメリカホラー短編集に、レイヴラッドベリなどが入っていて、SFもアメリカ文學史においてはホラーや幻想文學の一ジャンルに過ぎなかったんや!みたいな驚きがあった事を覚えている