映画の話

映画 覚え書き

靴磨き

ベルトリッチの殺し。からのマリオバーバーのモデル殺人事件までの流れが気持ち良かったので、久しぶりにデシーカーの靴磨きを観る。最初の毛布を売り付けた少年達の家にガサが入るシーンの直前、占いのシーンがあるが、あれはヒッチコックのファミリープロットのオープニングに繋がるな。と思ったのと、セルジオレオーネのワンス アポンナ タイム アメリカの少年時代のシーンだけで映画は成り立っていた。し、むしろその方がノワールとしての深みは増すな。とこの映画を再見してみて気付いた。と、言うかセルジオレオネーは、鑑別所行きの護送車に送られるくだりもめちゃくちゃ間延びして撮っていて、まるで靴磨きという映画の良かったシーンに付箋をめちゃくちゃ貼りまくっている。映画なんだ。と今回 再鑑賞して気付いたし、そう考えると、ワンス アポンナ タイム イン アメリカの記憶自体がニューシネマパラダイスのシーンの一部になっているような不思議な感覚に、靴磨きを観ていると錯覚する。蛇足だがそのような錯覚効果を狙った映画がホウシャオエンでもあるな。などと思ったりもした。

それで、この流れがそこそこ気持ち良かったので千円で購入したワイルドアットハートを久しぶりに観たところ、デシーカーに比べて画面が平坦でガッカリしつつ、デビッドリンチは画面が平坦で横に間延びしているお洒落絵画が延々と続く 美術館みたいな映画なんだとしばらく観ていて気づいた。美術館を巡るような気分で一枚一枚観る映画。ロストハイウェイもそうだ。あの映画も深夜の告白という映画を記憶の下敷きに置く事でだいぶ奥行きが出る。それにしても、この映画のデフォーはLA大捜査線の頃のデフォーとそんなに変わらない。昔観た記憶でもっと強烈にアクの強い顔の印象があった。
この映画でリンチは、イタリア映画っぽいアクの強さをハリウッドに持ち込んでいるが、最近 イタリア映画を少し観るようになって、これでも少し薄味に感じてしまう。その分 音はうるさめだ。むしろイタリア映画の音は哀しげだったり静かなのだ。

そういえば、オードリーのオールナイトニッポンを聴いていて、春日が斎木しげるに気にいられている。みたいな話をしていて、確かに春日にイタリア映画に出てくる鼻唄を歌いながら絡んでくる人。みたいな昔 マルセ太郎がやっていた題名のない映画館 イタリア編。みたいな パントマイムだけで映画を作るやつも面白いな。現状の春日は完全にハーワードホークス的。というかアメリカ映画的だが...。と思いつつ、斎木しげるの愚者の代弁者西へ のオープニングのコント。今思えば 完全にイタリア映画だな。と思った。
というか、イタリア映画を観るようになって街の景色とか人のノリとか表情の感じがバラナシとかインドっぽいな。とか、赤い影のベネチアのシーンの運河とか石造りの建物の錆びれ方とかバラナシっぽいんだけど、実際にグルダットとかジャンルノアールの河とかインド映画観ると、現実のインドの感じとか空気感は
全く無いので、実際のイタリアと映画の中のイタリアは全く違うものの可能性はあるが、もはや確かめる事も無いまま、自分の中でバラナシ=ベネチアとかゴア=ナイロビとか間違ったイメージとして美化したまま死んでいくんだろうな。と思う。し、そのような断片的な知識で構築されたイメージに酔う方が実際に世界を旅している日本人の生活より描写としてよりリッチでリアルなイメージなのかな。と思ったりもする。けれども、結局は、それはリアルでもないし確かめようもない。ーそこが映画的で良いな。と思う。