映画の話

映画 覚え書き

又吉の渦

久しぶりにヤーレンズオールナイトニッポンが楽しかった。なんとなく 寺山修司の競馬とヤクザと昭和歌謡をごちゃ混ぜにした語り口をゴダール風にめちゃくちゃに繋いでいるみたいな印象を持った。昨夜寝る前に観たコスタガプラスのzやフラィッシャーのその女を殺せを観ながら、こっからゴダールのめちゃくちゃなコラージュっぽい編集表現が出来たのかな?みたいな事を思った記憶がラジオを聴いている時にごちゃ混ぜになったのかも知れない。

又吉の渦や又吉の小説をみていると、又吉が彼女の浮気にめちゃくちゃ激怒しそうな感じがしてきて想像するとしんどくなる。と同時に、又吉の劇場は、僕の中に「女は彼氏とかいても、やたらと他の男とsexしてしまう生き物」みたいな諦念があって、全く感情移入しないで サクサク立ち読みできた。それは、それとして又吉の東京百景の田無タワーの話は面白かったし、よく書けているな。と思った。要するに自分は長い文章が把握出来ない。だとすると本を買う意味もあまり無いのかな?といつも思いつつ、だからこそ一冊の本を購入して日常的に何度も触れた方が本当は良いのかも知れない。

逆にオードリーの若林の文章を読んでいると、若林が彼女が誰とでもサクサクsexするような女でも全く気にしないフリをしてダラダラと付き合いそうな深淵を感じて、あの不思議な軽さがピンチョンのエッセイを立ち読みした文体と同じ思考回路の話し方で流れていた。それで、ピンチョンの青春時代が日本で言うとチーマーとかジミヘンとかサイケロックの時代でなくて、バロウズとかチャーリーパーカーとか50年代のjazzの時代だった。しかもピンチョンが、サイケロックの時代は自分らのビーバップjazzの時代と全く同じ現象と書いていたのも面白かった。

又吉は本一冊分が本一冊分の賢さを貴方にインストールする。と今回言っていたが、そうすると、人間一人とsexする事でもたらされる英知は果てしなく、しかもヤリチンは一銭も使わずホテルまで行っていた猛者も我々の若い頃は まあまあ居た訳で、そうなると元手 一銭も使わず 半端なく賢くなっとるやないか?なかには、女から金を際限なく引き出している奴もおったで?などと、思いながら、村上春樹とか村上龍の時代の文学青年は我々の時代の文学青年と違って めちゃくちゃsexしているんだよなぁ...。みたいな映画がニコラスローグの地球に落ちてきた男。かな?と思った。僕は、この映画はそんなに面白くなかった。

何故かと言うと、ヤリチンでも若い頃デビッドボウイみたいな天才アーティスト的なロックスター的なチヤホヤされ方もした事がなかったので、映画の中の時間や空間の変化の流れの速さに全くついていけないのだ。そこが、観てて感情移入できないからつまんないけど、なんとなく面白い部分でもありました