仕事から帰宅して又吉の渦を観ながら、広末涼子がパクられてからTwitterにwasabeの動画ばかり流れてくるようになって代表作はリュックベンソンのwasabeなんだろな。リリーフランキーも何かの本でおちょくってたし...。それにしてもエーガ界に捧ぐの挿絵 酷すぎて笑ってしまった。中原昌也氏が熱に浮かされた抽象的な批評をした回だけ 緻密におちょくった挿絵になっている。購入してから最近まで、全ページ おでんくん。みたいな挿絵が書いてある。みたいな感じでほとんど目に情報が入っていかなくなっておちょくりの細やかさに気付いていなかった。それで爆笑問題カーボーイを聴いていて、広末涼子の代表作がwasabeではなく、おくりびとだと知った。おくりびと 観てないなぁ...
それで又吉の渦の話に戻ると、最近 百年恋歌を購入してスーチーの可愛さにやられた。これは、ホンサンスのキムミニ以来だな。と思い、経歴を調べると、ホンサンスもスーチーも広末涼子も十代からモデルや天才美少女として注目されている。美少女という事が人生の上がりじゃねえのかよ!カンヌ映画祭とか国際映画祭で賞取る為の通行許可証みたいなレベルのもんでしかないんかよ!などと、下品な事を考えつつ、百年恋歌は購入して良かったな。週末 じっくりと見ようと思った。
やっぱり、この歳になって若い頃 六本木で遊んでたとかsex沢山しまくった事がある。とか海外有名人と知り合い。みたいな事で嫉妬する事もないのかな?と思っていたけど、若手中小企業社長の顧問相談役をしていたりビルマーレーの電話番号をゲットしている。などという話を聞いて ドス黒い嫉妬の感情がでてきてめちゃくちゃイラっときてしまった。結局 嫉妬の対象がsexから役職に移行していってるだけなのだ。だからsexも気持ちいいから。とかではなくて、社会的地位ゲットの為のsex。そして、なんか恥ずかしくなった。
寝る前に 5千円で購入したジャックタチ(前から、いとうせいこう や 中原昌也やタケシが好きな映画にあげていたので市場から消えてくのも速いのかな?と思いつつ、俺自身 自分の鑑賞眼みたいなものへの確信が薄く 著名人の意見に振り回されているので高値や転売ヤーの餌食になっている気もする。ここが難しいところで中原昌也が言及したから十年前に高騰していたDVDが安く再販されているケースと中原昌也が言及したから市場から消えてくタイミングがやたら速いものがある。露骨に誰も言及してない名作は、ずっと同じ価格で市場に残り続けている。そう考えると、映画館に通ってた時代が一番 効率良く安く遊べていたな。たぶん、子育てとかでクラブに通えなくなった層のアナログレコードへの関わり方も金額的に非効率になっていくような気もする。たぶん僕と一緒で基本は安い五百円から2千円の若者に受けない定番のメジャーなモノを買って たまに5千円から1万円くらいのマニアの中でメジャーな高いモノを買う無難なマニアックなモノを買って、ごくたまに奮発して2万弱のものも1回か2回手を出す。みたいな平凡なコレクターになるんだろうな。みたいな気がする。それで若い層とのズレが出てくるけれども、我々おじさんとしても そのような非凡を気取った平凡なサブカルマニアックおじさんであるところの自分の社会的な大人の秘密基地的な立ち位置に自らが居場所を見つけ充足する事が自尊心であるのかな?と思う。そのような各自 自分の自宅から遠くに移動出来ない社会的制約を自尊心とするがゆえに週末秘密基地をコツコツと地道に作りあげた平凡なマニアックおじさん集団コミュニティのモルモット達の巣に広末涼子のペネロペクルス的な奇行という情報爆弾が頭上から投下される事で 束の間 惰性化した価値観がパニックになってスパイスガールのようにキャッキャッし また昼休みが終わると通常 業務に戻っていく。そして、そのモルモットの檻を上から覗き込んて日光猿軍団のようにキャッキャッと手を叩いて喜ぶトランプとイーロンマスク)のプレイタイムを観ながら、映像で見えてない部分もセットで作る。という事の表現の意味とか、そこから派生する気狂いじみた笑い。みたいな事に少し気付いた。と、同時にハライチ岩井が半年くらい前に、すでにラジオでこれを喋っていたな。と思いつつ、「課金しまくる事で、何かをゴージャスに見せる事は誰でも出来る」みたいな言葉がどんよりと頭にこだまする。
あと、ジャンルノワールの恋多き女を観ていてウェスアンダーソンのアステロイドシティとかダージリン急行つまらないな。と思ってたけど、見直してみようかな?と最近 思ったりしといたところに、ジャックタチの影響もあったのかな?と気付きつつ、ジャックタチは高いな。と思って 買わないできたけど、今回 市場から無くなりかけていて、つい急いで購入してしまったが、結局は購入し続ける事で視野を広げられない自分。というものに、いずれ向き合わないといけないだろうな。という事と、町山智浩先生のいう「トリュフォーは不良。ウェスアンダーソンはナードでオタク」みたいな雑な切り口で、確かにある種の広告塔としてのキャッチーさはあるんだけど 全然 嘘表現なんだよな。と思ってしまうし、あの発言で町山先生の話が全く頭に入ってこなくなってしまった。
それは、それとして神田伯山先生のデコちゃんの話、デコちゃんと稲妻とか、五所平之助とか木下恵介特集とか映画観に行ってない人に なんにも伝わってなくて、ただゴツいドイツ人顔の講談師がタランティーノの映画みたいな気狂いじみたテンションで喋っている。みたいなホークス的な感じ。そういう所を狙ってキルビルみたいな映画が出来上がってるんかな?と思った。つまり、神田伯山先生は、自分は時代劇のこだわりを色々と言っている割りには、自分自身の存在はキルビル。みたいなパルプフィクションな事になっていっている。という。
そういった意味で、中原昌也氏の浅野忠信は新しい世代の高倉健。みたいな表現には、本当に驚かされた。これは東映現代劇 特集時代の丹波哲郎とのコンビ時代の高倉健。とかを観ていると、めちゃくちゃテンションが上がる言葉なのだ。そんな感じで、初期の中原昌也 批評はリリーフランキーに小姑のようにイビられていたけど、どんどん批評もシャープになっていっています