アテネフランセの中原昌也の白紙委任状が再開された事は喜ばしい出来事であった。だけでなく、企画の内容も 現在の体調が芳しくない中原氏が 相変わらず我々を啓蒙し続ける存在--
一昔前のリーゼントに皮ジャンの不良とかバイカーにとってのYAZAWA という様式美であるかのように、我々オタクにとってのMasayaである。これは例えるならアルピーの平子佑希氏にとってはMASATO であろうし、見取り図 森山氏にとってはSun MAであろうし、ピース又吉にとっての高円寺Sa Ti Yan(サティやん)であろう。-
そういった国宝!Tom Yan君(トムヤン)界隈を中心としたMEGUMI プロデュースのラブ上等の話しは一旦置いておいて、今回の中原昌也の白紙委任状も 僕は猫の介護などが忙しくて参加できなかった為に、止むおえず netfilms氏の ブログの記事を元に話しをしていきたい。
まず、僕は面白いな。とほとんど思わずに中原昌也氏の薦める映画を観まくっていた時期があり、そうした作品群の中にモンテヘルマンの断絶やジョセフロージの秘密の儀式、ルイスブニュエルの白黒映画やジェフフランコのシャイニングセックスなどがあった。
と……ここまで書いて 一気に説明する文章量の長さに頭痛がしてきて解説が面倒になってしまいました。
無理矢理はしょって文章化すると、沢山アメリカニューシネマとかオールド西武劇とかみてると、断絶とか ラオールウォルシュの夜までドライブとか、あのくらいのユルいドラマ展開に魅せられるようになってくるんだけども、断絶のラストのダイナーのシーンが、ゴリゴリのギャング映画 ジョンヒューストンのアスファルトジャングルのジュークボックスに繋がったりする。その意味が、アメリカンニューシネマの三角関係 恋のすれ違いー生死のすれ違い。みたいな何度も繰り返されるシェークスピアのロミオとジュリエット的 立体交差点的すれ違いだとすると、mojo のpv。はては、トレインスポッティングのラストとアンダーワールドのボーンスリッピーだったりする。
そうした通俗的な恋愛pop songの概念を飛び越え、今回の中原昌也の白紙委任状のテーマはアメリカ社会における狂信的キリスト教会信者と通俗的なTV プロデューサー的 宣教師の対峙がテーマになっていて、これは荒俣弘編集のアメリカホラー短編集のテーマになっていたり、ポールトーマスアンダーソンのマスターやゼアウィルビーブラッドの元ネタになっていたぽくて大いに観れなくて残念だったが、猫の介護もあるので 実はどうでも良い。というか、オタクと言うのは 見終わった瞬間から次のターゲットに対して猛烈な執着が渦巻いてくる。ものなので、初見から観る機会を失った…。という事はひとつ新たなテーマや執着、購買意欲という名のストーカー的煩悩から解放された状態であって、実はむしろ喜ばしい。
長々とこの駄文を書きながら、最近はまってしまった中川信夫の地獄とか梅宮辰夫の夜の青春シリーズの大原麗子や緑魔子について喋りたくなってきたが、梅宮辰夫の夜の青春シリーズを書き始めたら、サシャギドリとかムルナウのdvd boxについて考えはじめたり、ヒッチコックとルチオフルチとクロードシャブロルとか、ひとつのテーマできちんと文章として構築できないから駄目なんだ。と思いながら 書かなくなった。ところで、書かなくなると、ますます情報を整理出来なくなるので、無理矢理 久しぶりに強引に書いてみたけど、書くだけで疲れたし、自分なりに文章化する手癖とかパターンもしばらく書いていないと大変になってしまった。
やはり、どんな低レベルな技術力で低俗な精神性だとしても無視して作り続けないと向上はしない。し、どんどん社会の下に下に落ちていくわけなのだが、学生時代にスターであったり周りを惹き付ける才能があるわけではないので、社会的に窓際人間というか底辺人間である事を自覚したり、それに付随する様々な生活トラブルが勃発して収入に関係ないクリエイティブ活動など やる気力や時間も自然となくなっていく。そうした状態に追い込まれてみて、不思議な事に逆説的にコミュニケーションとしての文化スキル大事やなぁ。みたいな感じで最初の振り出しに戻ったわけなのだが、もちろんビジネスや営業トークに敏感な人間であれば、文化や教養など生活に要らないであろうし、親や今まで付き合ってきた数少ない女性も、そういった金や世間知に敏感だったり人の上に立つリーダーシッブスキルがそなわった男性像であったり息子の成長を期待し続けたのであろうが、この歳になっても絶望的にそうした交渉スキルが向上していかないなぁ、
後、40代の時はあまり感じなかったけど、50代になると誰にも期待されてないクリエイティブというか文章の内容のレベルの低さに この文章を試行錯誤してかけた時間の無意味さにどっと疲れたりとかもあるので、これは人間的成長なのか生命力の後退なのか?どっちなのかな?と思いました。この酷い文章を書いていた休日の時間が日本の恋愛ドラマや日本のエモいpop song の定番展開 ロミオとジュリエットそのものなんだが、ロミオとジュリエット的な者に自己嫌悪を感じる私のようなオタク サブカルおじさんは 夏目漱石のこころとかそれから。みたいな大正ロマン文筆家を気取る事で自己嫌悪から解放される部分もあるかな?とふと思いました。
よし!無理矢理ロミオとジュリエットとアメリカニューシネマの2本柱で文章無理矢理まとめたぞ!やったー!