映画の話

映画 覚え書き

ハライチ岩井と太田光

ハライチ岩井の量子力学においてエネルギーをスピード基準にして理解しようとしている話は面白かった。結局、自分は量子力学を形で認識しようとしていた為に、空間における磁場が垂直からどれだけシャフトが傾いているか?を基準にすれば、断片から世界の空間。ー全体像を把握できる。と思いながら読み続けていた。だから空間における分子密度が問題であり、スピードとかエネルギーに思考が囚われる事は光から送られてくる信号を読みとって分子が定点でダンスしている事を、分子が空間を移動している。と錯覚している。まやかしなのだ。という概念に囚われている自分に気付いたのだ。

現実には、人間が空間とか時間を把握する為に基準を欲しがる為であり、真理ではないが、人それぞれの理解する為の基準を持つ事が、その人らしさ。という事なのだ。と感じた。

 

10年前ぐらい前のTV での太田光は、色々な概念を言語化し、タモリとか談志とか以来の新たな学問風お笑い。みたいな型を編み出していたし、それがhiphop カルチャーに近い クリス・ロックとかクリス・タッカーみたいな黒人コメディアンの活躍と時代的にもシンクロしていった。

そんな時代のTV の太田光を観ていた者からすると今の太田光の会話のテンポは、あまりよくわからない。ただ、この異様なテンポの雑な比喩表現を聴いているうちに、川島雄三映画の枕。みたいな感じで当てはめるとピッタリはまったので、エリックロメールの作品を見直したりしているうちに、フランス映画とアメリカ映画のズレの部分に旨味があるし、そこと川島雄三とかとギャスパーノエのカルネとかも見直したりしてみたくなったが、もちろんギャスパーノエのカルネなど値段が高騰していて、最早 観る機会もないだろう。

 

結局、ZEEBRAのTV とか観ていて、hiphop とかアメリカの社会派映画のカッコよさは編集とかコラージュの切り取り方の旨さなんだと思いながら、ファンタスティックプラネットとかエリックロメールのレネットとミラベルの映画内のテクノ音楽みたいなのが、ミケランジェロアントニオーニの砂丘におけるピンクフロイドだったり欲望のハービハンコックだったり。なのだが、日本で言えば大林宣彦のはるかノスタルジアの久石醸なのだ。そうやって、その側面から離れて、もっともアメリカ的なフライッシャーの絞殺魔など見直してみると、札束無情やその女を殺せ。など、中原昌也師や黒沢清が薦めていたものを愚直に見続けてきた事に意味がでてくる。

というか、中原昌也氏の薦めてきたものを見続けてきたおかげで道筋が舗装されていくのだ。だが、真理は?と言えば、それは俺にはわからない。だが、誰かが切り開いた道筋の後を歩くのは、じっさいの人生と違って、いつだって、どっしりと安心感がある。