映画の話

映画 覚え書き

dj shadow

先週の粗品のラジオのケンドーコバヤシの回の全員がチンポコ出すまでの長い前フリも(フイリッツラングの恐怖省の降霊術のシーンっぽくなってたんだけども、そこでフイリッツラングやヒッチコックが昔のサイレント時代のマルクス兄弟とかホークスの赤ちゃん教育みたいなスクリューボールコメディからのサンプリングっぽい。というの気付きつつ、その流れがクロネンバーグのスキャナーズ戦慄の絆まで繋がっている。し、戦慄の絆でのfact[事実)とfuct[fuck)の言葉弄りやキューブリックのロリータの冒頭の50年代フィルムグリのパロディのこの話がdj shadowの冒頭の曲の感じに繋がっていく)ナインティナインの回の「あのちゃん そんなん勝手に触ったらいかんで。自分の番組でそんなん勝手に弄ったりせえへんでしょ?それ鶴瓶師匠がアナルにいれたやつかもわからんのやで?」と言った時に、即座にあのちゃんが「汚ねぇっ!」って放り投げたリアクションの反応の速さが面白かった。

そんな感じで先週末 funkadelicのマゴットブレインの1曲目のサイケギターみたいな流れから2曲目can you get to that?はゲップみたいな音のループが曲になっているのも面白かったし、そのゲップのループが途中 北島三郎の与作みたいになっている時があって、その時ビズマーキーも聴き直してみようかな?と一緒思いながら、ラリーレヴァンのwest end recordの伝説のパラダイスガレージの1曲目か2曲目のディストローションがかかりまくったエレキの音にギャルっぽい声がはさまれて最終的に歌詞をよく聴いていると「お尻の穴が銀河一のスペースパーティー」みたいな事をいってたりと、そのハウス→エレキギター流れでDJ shadowを聴くと、hip hopというかトリップホップなんだけどプログレっぽい流れというか、そういう70年代の古いロックサイケみたいな流れで通して聴ける。だからfunk聴いてるとお笑いの下ネタってグルーヴ感なんだな。と気付くんだけど、DJ shadow聴いてると、その下ネタの声をさらに機械やサンプリングで弄って人工的になる事で下ネタや時代劇がSFっぽくなっていくのがグラムロックなのかな?って思った時に、ケンドーコバヤシの前にローリー寺西がいるな。みたいに考えてくと、kornのlife is peachのwickedとかlowriderも入れたくなってくるし、kornの前はニルヴァーナとかグランジなんだけど、ニルヴァーナディスコサウンドを歪めて作られたのは有名な話だ。スクエアプッシャーのウルトラビジターもヘビメタのサンプリングでしたね。aphex twinのサド公爵みたいなお城っぽいやつも良かった

dj shadowのprivate pressのレターフロムホームのいかにもな往年のハリウッド女優の気怠い喋りをさらに機械で弄ってサンプリングで速度かえて脳が溶けそうなゆっくりで掠れた喋り方に酔いながら〜からの2曲目のインドサイケドップリみたいなのに浸って3曲目のウォーキートーキーの通常のhiphopをさらに跳ねた感じの発音に聞こえるように弄った80s っぽいhiphop良かった。

ネットの喧嘩(詰め込み教育の弊害)

ネットの喧嘩は犬公方(いぬくぼう)も食わない。なんて申しますがー。なぬ!お、おぬし さては綱吉か?綱吉だな?クックック 越前屋。おぬしもワシの怒張したマイナカード縄プレイにハマってしまったようだな?しかも、この縄はただの縄ではないし、しっかり時間に対して料金が発生しております。つまり人間と人間との間のしがらみや利害関係をいちいち電磁波にポイント換算して何重倍に増幅させた河野太郎印のありがたいFBIアトピークシャおじさん!つまりマーベルコミックのノベルティクーポンの縄なのだ!越前屋!お前はもう大黒屋カルマから逃げられない!ホアキンフェニックスの顎真似はやめて神妙にお縄を頂戴せえ!そして今日からいつでも可変できる河野太郎の顎に整形するんだ!そ、そんな?これ以上保険料とられて整形したら紳助の顎になっちゃうよー。何それ?めちゃくちゃ素敵やん?春一番やん?顔で笑って顎で泣く。ミスターアゴ割れ。憧れです。

いったわけでございまして、ケンドーコバヤシのデジタル世界をパクっていじってみましたが、やってみるとなかなか難しかく上手くいかなかったです。(追記 ケンドーコバヤシの節回しより戦場のメリークリスマスのタケシのイメージで喋ったほうが上手くいったのかな?

濡れた逢引

猫も具合悪いし先週の東映祭りで映画を観る習慣を断とうと思いつつ、我慢できずに一本だけ観てしまった。昨夜 イライラが酷すぎてfunkadelicのマゴットブレインを久しぶりにきいてみて初めてサイケミュージックの奥行きに触れたような気がして少しだけ興奮した。ラリーレヴァンに続いていくのだ
それに比べるとただただ気がぬけた映画で、それに反比例して加賀まりこが鬱陶しいくらい性格が悪く、メスだった。後ぼっけえきょうていの予告編を思い出したくらいに、加賀まりこの顔と身体のバランスとか影の当て方とか梅図かずおのオロチとか洗礼っぽい終始 怪奇風味の画面のコメディ?でもあった。
そんな感じでサイケで気がぬけている。秋津温泉をティムバートンがゴダールっぽく編集したら、ラリークラークになった。みたいな「つまらない。」と断言できない良さがあったし、そこまでテンションが上がらず一本で帰れる感じもいい。
桜京美が秋津温泉の岡田茉莉子に、加賀まりこが女体の浅丘ルリ子や牝犬の緑魔子に、寄せにいってるようなパロディとしてふざけにいってるような微妙にふらふらしたバランスに揺れながら2つの映画が交錯していく。

最期が吉田喜重のろくでなしや神代辰巳の青春の蹉跌っぽい絵に収束する感じも良かった、

この作品で、浅丘ルリ子緑魔子がいまひとつキャラ化出来ていなかった性格の陰湿なメンヘラ童顔の婆さん顔の人形美少女風=ゴス加賀まりこがカタチにしている事に衝撃を受けた。加賀まりこ=表情を含め性格をできる限り悪くする。という役作りに妥協はない。NO friend。NO exeques。NO!

そういう意味で、緑魔子のゴスの意味もわかってきて、サイケという意味では緑魔子の調整ぶりが、いかにも東映らしくさりげなく完成されていたのに初めて気づくし増村保造の盲獣も良かった、先駆者としての浅丘ルリ子の迷走に見えた演技遍歴がめちゃくちゃぶっとんでいた事に気づく。
最期にきたサイケ女優が大原麗子だ。大原麗子まで来た時に、サイケやゴス以前の時代の若尾文子岡田茉莉子の正統派ゴス美少女ぶりに驚かされるけども、この時代の女優さんは芸者ものとかの若手とか子役で出演されているので芸者や赤線ものの中に新人類みたいな感じで古い旦那衆の義理人情や人身売買みたいなビジネスモデルに日本の古い業界を壊す病原体ゴスが持ち込まれて壊れはじめる感じも東映のホスト梅宮辰夫シリーズに持ち込まれる病原体の感じとダブる。夜の手配師緑魔子大原麗子の対比は、成瀬の浮雲高峰秀子岡田茉莉子の対比や祇園囃子の木暮千恵子と若尾文子や小津の浮草の京マチ子若尾文子の対比になる。また、木暮千恵子の雪夫人絵図の見えていないカットが岡田茉莉子の秋津温泉になるし、秋津温泉の見えてないカットが濡れた逢引。みたいに入れ子にしてレイヤーを重ねてみたり、同じ木下恵介のわが恋せし乙女の村祭りのシーンもこの映画の冒頭の村祭りのシーンとイメージがダブり、かつ この2作品が村祭りの三角関係から真逆の展開に突き進んでゆく。(この効果は、例えばビギーのbig poppaを聴いていて、この曲が流行っていた当時の事を思いだした時に、流行っていた当時は全く世代ではなくて知らなかったアイズレーブラザーズまで記憶のフレーズに繋がっていく。といったような回想シーンに外付けハードディスクが増築されている感じの面白さに近い)このような新人類vs旧という対比とは別に木下恵介を軸に、カルメン故郷に帰る高峰秀子と夜の手配師大原麗子のスターが演じる田舎っぺ大将の対比。そこに今年の春の田村正和とこの映画の加賀まりこ木下恵介メソッド?ありのままのアメリカンニューシネマの系譜が混ざった時、小津の浮草もポールニューマンのハリーアンドサンとかアメリカンニューシネマ的だったな。と思う。

話を加賀まりこに戻すと、木下恵介の死闘の伝説の加賀まりこが一番綺麗だった。岩下志麻との共演なのだが、姉役の岩下志麻とトーンが合っている妹役の加賀まりこ。ここでは従来のゴスの加賀まりこではなくアメリカンニューシネマの加賀まりこを堪能できるのだが、ここで何がジェーンに起こったか?のベディデイビス加賀まりこの演技や表情の方向性の酷似に気がついた。

hiphopは不良の音楽

hiphopは不良の音楽。などと世間ではよく申しますがぁー。今回 わたくしは、今さらキングギドラやユーザロック聴いてる年齢でもないだろう。という事で広沢虎造を聴いてみたところ......

不良の世界というか、お爺ちゃんすね。声が圧倒的にお爺ちゃん。ただ、確かに不良の世界観。だけれどもお爺ちゃん。圧倒的に不良。だけれど圧倒的にお爺ちゃん。

それで、即座にcdをストップして、ビギーや2pacやJayzを聴きながら オマーとかもいいな。なんて平凡な若い日々をマシマシに美化させて自分に酔いかけていたわけなんですが、ふと我に帰って

これって結局...これって結局 輩系の日本語ラップアルファードとかで大音量で聴いてる人より客観的に見てより恥ずかしいし、より圧倒的にオッさんで馬鹿っぽいんすよね。

結局、自分の人生が上手くいかない事を子供やペットをコントロールする事で解消しようとし、それも解消できないとなると子育てで消費出来なくなったアートを批評という形でコントロールしようとする。

しかし、そもそもの人生に対してのセレクターセンスが若い頃から無かった。それが店やセンスある友人のおかげで誤魔化されていた。その誤魔化しが効きにくいのが服装だった。だから、若い頃から流行りものを着ているのに服装だけ、服装だけがほんの少し、ほんの少しだけ周りの若者と比べて、いつでもちょっぴりおかしかった。

貴方の周りに、もしそんな中年がいたら連続幼女レイプ殺人犯です。背中にチョークでMと書いて最寄りの警察暑にすぐ知らせましょう!
そうすると、フイリッツラングのMと同じ物語になります。つまり、未知との遭遇。とMは似た映画と考えれると思います。それが蓮實重彦未知との遭遇におけるアメリカのファシズムの捉え方になります。ファシズムの対象は宇宙からのメッセージでもロリコン犯でも服装が少し変なオタクでもなんでもいいんですね。とにかくアダルトビデオのメーカーと一緒で新作の奇人変人の容疑者を毎月6タイトルリリースしていかないといけない。そうする事でユーザーにそのレーベルが定着していくのと同時に国民の治安維持にも繋がっていくわけです。そして、Mの一文字からインディアンの呪いとポップアートを関連づけてredrumとして逆さ言葉にしたキューブリックhiphopを暗示というよりファーサイドdrop。という曲の出現を暗喩しているわけですが、シャイニング→博士の異常な愛情→ロリータと遡っていくと、やはりフイリッツラングのMに近づいていくんですね。これが映画史におけるhiphopコックリさんになります。
ただ、それだけではなくてキューブリックのアイズワイドシャットや時計じかけのオレンジや2001年など含め全ての作品をマッシュアップさせるとルノアールの「素晴らしき放浪者」一本に纏まってしまうので、キューブリックhiphopも全部忘れて下さい。ジャンルノアール一本だけ見れば充分です。今日はそれだけ覚えて帰って下さい。それで、だいぶ時間もお金も節約できますから。それで節約した分を月々の癌保険の支払いやnisaの方にまわしていただければ....,(ここでてんてんてんやろー!若者よ!こういう時に、てんてんてんは使うんやで!)

俺も小籠包と同意見。aka饅頭怖い

「そうなんだよ。君らに親父狩りされていた僕らおじさん達もシリコンバレーにitバブルの夢をみたよ」夜の歌謡シリーズー長崎ブルース
人生は、状況に対して足りない知識量で常にやりくりしないといけないのか?頑張って欲しいですね。

あと、ガイヤの夜明け級のガヤ「でてこいやーー!」ドヤ顔でドヤ街に決死の潜入取材。ヤー!ヤー!ヤー!あの頃を忘れない。これから一緒にぃーこれから一緒にぃー殴りにいこうか?長いお別れロング グッドバイ。

ネットおもろい奴であるところの俺が、練ってコネってねるねるねるねー。じゃあ、僕はもう寝るね?メソッドの仕組みをネットリと解説する。

ネットでおもろい奴と言われ続けると自分に自己暗示をかけつつ、全く面白くない事を「俺おもろいやろ?」みたいなニュアンスでネットで喋り続けて随分と月日が経ちましたが最近はついつい床にもお漏らしをするようになってしまいました。そこでっ?......滑ら〜〜ないっ!って、何を口の中でモゴモゴぬかしとんねん?酔うとんのか?酔うてないです!素面で人生のハンドル握っとります!いやいや、そんなのいいから。まず、そこの交差点の先のとこで左寄せしてエンジン停止して!いや、左というより、僕はどちらかと言うと右寄りで.,.いや、このくだり要らなくない?ユカリ食べてなくない?

はいっ!そういった感じでお送りしていくわけ。なんですけどもォー。
やっぱり「おもろい話」をするコツというのは、全く面白くない日常ー苦虫を噛み潰したような日常からくるものなんだなぁ...と実感しております。

そこで今回の
「なぜ多くのマーケターは売れないペルソナを作ってしまうのか?」
のアンサーですがっ?
ずばりお答えしますっ!
「けーーきょくは、奥さんとの夜の営みが上手くいってないんとちゃうかぁー。」(桂枝雀師匠がボンヤリと語尾を弱めていく時の発音で息つぎなしの発声でお願い致します)

はぁ...。独身しんどー。
(何が独身しんどじゃ!奥さんとの夜の労働を免れてるだけでも、ずいぶん人生 楽しとるやないかぁー!かぁ〜かぁ〜かぁ〜!)
あと、大王製紙会長の精子からダイオキシン。に続いてイナバフーズ社長のうわっっ⁉️(英語の想像を超えたモノをみた時のwhat?の意味も含まれる)パワーイナバウワーhour!ナハナハ...(できれば、ここのところはイナバウワーに乗ったイナバフーズ社長をなかやまきんに君がお姫様だっこしてる感じでお願いします。なので、背後からのシルエットはちょうどケンタウロスを持ち上げているラオコーン像っぽい感じになるのかな?当然 馬に乗った女性を待ち上げようとすれば、馬も女性も暴れてバランスを取る事が難しくなってくる。その3体が暴れながら力の均衡する地点を探し当てようとして次第に絡みつき離れられない宿命に落ちていく男女と獣の愛の三角関係を表す構図の面白さ。だよね?カメラ スタンバイOK?3.2.1はいっ!本番スタート!)って駄洒落も考えつきました。

夜の歌謡シリーズー命かれても

なんといっても、デパルマっぽい高速ズームとズームアウトの犯罪者ストーカー映画っぽい演出。それと伊丹十三の現実離れしたボンボン2代目社長の役作り。最後に、梅宮辰夫が色々な水商売や会社社長を騙して千切ってきた800万相当の小切手を「ちょっと、ホンモノかどうか?拝借」みたいな感じで手に取ってから、いきなりライターで燃やしてから、従業員を使って梅宮辰夫をボコって会社からつまみ出すシーンの非現実な役作りに、、むしろホンモノの御曹司はこういう漫画的な常識はずれな貨幣価値感を持っているのかも?て思ったりする。俳優としての伊丹十三は、情炎、偽大学生、黒い10人の女に続いて4本目だが、佐野史郎エドワードノートンなどの頭脳俳優。みたいな独特の現実と漫画キャラの中間みたいな役作りを面白く感じたし、そのような曲がり具合が後のマルサの女やたんぽぽ、お葬式などの社会派とサブカルの中間みたいな娯楽ダンディズムみたいな監督の流れの片鱗も見えて良かった。

伊丹十三が梅宮映画に出ることでカサバテス映画の雰囲気が増してくる
そういえば、お嬢様や2代目ボンボン社長の恋愛3角関係映画も色々みてる。増村保造の女体や吉田喜重のろくでなし。篠田正浩のわが恋の旅路とか。色々と見比べてみると、アバズレや2世社長や経歴の怪しい成り上がりへの世間への憎悪や偏見を、その俳優の解釈でアレンジしている事で、その役者の演技が思想になっている面も面白いな。と一瞬考えたものの、邦画自体には御曹司vs成り上がりの明日のジョー的 構図以上のものが見出せず、そう考えると初見、画面の動きがなくてつまらなく感じたベディデイビスの月光の女や欲望という名の電車のマーロンブランド。荒馬と女のマリリンモンローなど、アメリカ映画のこの手の映画に対するエグみは見応えがあるな。と思ったし、そういった流れがゲイパーティー系のトランスやテクノの選曲の流れに時節 垣間見えて、ドラッグクィーンのスソを引きずる。みたいな語源の意味も、アメリカのこういうノリと関連づけて、もっと掘りたいな。と思っていましたが、もう映画も観てる場合ではないでしょう。もし観るとすれば、ジョナサンデミの愛されちゃってマフィアも観てるわけだから、ボガードとローレンバコールのキラーゴーも見落としてしまったし、風とともに散る。は観てたわけだから。逆にローレンバコールとロミーシュナイダーの演技を見比べたりしても、アメリカとヨーロッパの違いとして、また新しい発見もありつつ、そこでもう一度 伊丹十三や浅岡ルリ子の増村保造的な思想を掘り下げた系の邦画の俳優のやり方を見比べていくのも面白いでしょう。
ただ、僕は、観ませんが。