映画の話

映画 覚え書き

博徒解散式

映画を観ている時は、大袈裟な外連味溢れる深作演出に初期東映のスマートさはなくゲンナリさせられたものの、映画見終わって家に帰って色々と家事をしている時に、結局 鶴田浩司があらゆる嫌がらせや工事事故や渡辺文雄から数々の裏工作をうけても我慢していたのが、最終的に社長室に内側から鍵をかけて短いドスで殺し合いをするつもり。だったからなんや?!という事と、その為に鶴田浩司の喋り方が映画の冒頭からラストまでいつも震え気味で気弱な鬱サラリーマンみたいな喋り方だった事に気付いて、その思考回路にめちゃくちゃゾッとすると同時に「ヤクザ渋ぅ〜」ってなったし、裏政治野郎!汚らしい野郎だ!と思っていた渡辺文雄が最終的にドスを持たされて殺し合いをさせられない為に普段から色々と政治的根回しや工夫や経費をケチったり節約を重ねながら生活をしていた我々と同じ小市民に思えてくる。

あと、帰宅してから男度胸で勝負する。や夜の歌謡シリーズにも鶴田浩司が出ていたような気分になってくるし、次第に東映を観続けていくと、どの映画にも心霊写真のように鶴田浩司が映りこんでるような気分になってくるし、丹波哲郎や鶴田浩司、梅宮辰夫映画に高倉健が出てない映画だと高倉健の不在感がもの凄い不自然な感じになってくる。赤の画面みた後黒の画面みると、黒が赤に見える。みたいなものと考えて下さい。

ガスバナーのような青い炎で燃える日活ロマンポルノシリーズの東映番みたいな映画だが、このテイストが90年代のVシネの雰囲気に繋がっていく

男 度胸で勝負する

ふざけたタイトルに似合わず、かなり良かった。ホラー映画と任侠映画の中間ー黒沢清蛇の道や復讐と同じジャンルだが、黒沢清 ホラーヤクザシリーズより格段に良かった。自分は、両親共働きの為、幼稚園や幼稚園前の頃 夜ひとりで留守番したりずっとTVを観てたり、幼稚園と中学校で虐められていたり、中学校の頃は不登校で学校に行くふりをして家の押入れに隠れたり、補導されたくないので山手線の中に夕方まで乗ってたりしていたのだが、その時観た景色や光の感じになっている。

なので、黒沢清 ヤクザシリーズを観た時は「ヤクザでホラー映画なのに、スラッシャー系でもないし、スカっとしねえ!ずっとどんよりしてるし正直言って不快感しかない。」みたいな感じだったのに、初期のキラキラしたモノクロ時代の東映から観続けていくと、この映画の松方部長や梅宮番長と大原麗子緑魔子の色事師カラー東映の腐りかけの東映とも違った、腐りかけてるわけでなくむしろ鉄が錆びた東映の魅力にどっぷりとハマった。この映画の現代音楽っぽい尺八の使い方もギャングスターとかグループホームなどのDJ プレミアっぽい機械的任侠映画の雰囲気がでていたように思う。

後、汚れサラリーマン役でお馴染みの杉浦直樹のシチサン分けの和服ヤクザのキャラも良かったし、杉浦直樹イカサマを見破ってドスで腕を刺す寸前にイカサマサイコロを隠して血だらけの腕で札をかき集めて逃げきるシーンの流れなどもかっこよかったです。

思い返すと、エドワードヤンのクーリンチュー殺人事件が子供版の実録東映カラーヤクザ映画になっている事も発見できて良かった

今後のネットの50代真剣喋り場のゆくえ

森進一の声は生身の声なのか?それともー子供の勉強のJamaican sound system ーつまりdubなのか?(いや、jamaican sound systemは子供の勉強の邪魔にはならんでしょうがーー!むしろ子供の脳内を活性化させるものでしょうがーー!などの御意見はここでは脇に置いておくものと致しまして)

この現在の一進一退の政治状況の問題について50代のネット御意見番の皆様方と共に議論し考察を深めていく場にしたいです。

真剣 50代喋り場(死神)

はみ出す勇気でオナニする。英語で言うと

"EN courage Ona-ɴeeee-Oni(ワン&オンリーおな浜ブラザー)"

ですが、年齢のせいかヌキ終わった後は何故か 毎回肩を落としてしょんぼりしてしまうようになりました。メロス!逆やろ!逆!オナニした後、普通めちゃくちゃ走りたくなるやろ?

白濁した李白で東洲斎......エンドゥ モアーー!デュフデュフ(笑。または精子が出た後の口先のかすかな震え)...。

そんな心境です。今週の青山真司特集も一本も観なかったけど先週のロバートクラムのドキュメンタリーも観たかったなぁ...忘れていこうね。忘れていこうね。徐々に。徐々に。50代真剣喋り場 JOJOにしょじょ寺 忘れていこうね?平成狸合戦ぽんぽこ
「そこに50代真剣喋り場の4つ打ちはあんのかい?」
(このオチのところが、小泉八雲のムジナっぽく偶然重なったとこが自分では割と気にいっています。こういう風にサイバーパンク古典落語っぽいのを組み合わせてくと筒井康隆っぽくなるのかな?みたいな発見もあったし、やっぱりサイバーパンクの流れとしてロバートクラム観たかったなぁ...。結局、ケーリグラントというコメディ俳優をサスペンス悪役俳優に変化させていったヒッチコックの手腕。みたいなところでケーリグラントの演技も見直してみたいけども。フランクキャプラ見逃したなぁ。いや、まだ観れるのか?いや観たいけども。キリがないから。結局、裸のランチみたいな映画ってよくわからないな。と今まで思ってたけどアメリカの古典落語つうかマルクスブラザーズとかのサイバーパンク進化したやつなんだろうな?たぶんクリストファーノーランもそうなんすよ。ダークナイトの冒頭の偽札をばら撒く為に銀行強盗するやつ。あれフィリッツラングのマブゼ博士なんすよ。だから、僕もノーランのいかにもCGみたいな絵を実写で撮ってんの。あのつまらない拘りよくわからないな。と思ってずっと観ないリストの監督だったけど。後世の人からみるとですね。つまり後世の人間として今のノーラン映画を観たりする試み。要するに鳩山由紀夫の政治哲学という訳なんですけどもー。例えば俺らが今フィリッツラングの恐怖省とかの映画のセット作って爆破したりしてるの、いかにもミニチュアっぽい作りものっぽいセットの中で原寸大の人間が右往左往している。絵がむしろ怪奇の絵本みたいな。バッドレリジョンのファーストのジャケ写みたいな。だから、スキャナーズの冒頭の自分の悪口言ってるおばちゃんに念力送るやつ。みたいなの。あれ古典ギャグじゃん?みたいな予測を立ってくるけど。まあワーワー言うとりますが結局は一本も観ませんが。ただ、観たいなぁ。太田さんも、もっと大友克洋みたいなギャグ増やせばいいのになぁ。NHKで毎週 旬な学者と対談してた時。みたいなサイバーパンクの要素無くなっちゃったなぁ。

インターネットビジネスが出始めた頃のインターネット何も知らないみたいな飛び込み営業のオッさん

やっぱりクラブシーンは、今ベルリンがあついっすね。LGBDだしインダストリアルな音が脳内再生しちゃって激安スーパーでお惣菜奪い合ってる時に、ついつい踊り出しちゃう時がよくあるんすよね。そういうのが、ー本場ベルリンのレイブシーンーホンモノの野良テクノストリート音楽の楽しみ方じゃないかな?もちろん、その激安スーパーで流れてる音楽の裏拍子をとりながら、安いお惣菜を探しながら横目で賞味期限切れ寸前のすれてないギャルおばさんをチェックするのもお忘れなく。
結局何が言いたいか?というと、とにかく俺はイケてる。イケてるおじさんなんだー!

夜の手配師

夜の手配師を見ながら、先ほどの喜劇列車の感想で渥美清とオードリーの若林の像と重ねたりhip hopスターと関連づけて色々調子に乗ってブーストしていた事が急に恥ずかしい...というより、背中に冷や汗をかきながら、同時に高校の頃、夜の街でハイテンションでベラベラ喋っていたら他の部活のラグビー部の後輩同士が暴れ出して完全に恐怖でフリークアウトしたりした記憶も混ざったりしながら、映画内で徐々に調子づいてやばい状況に追いつめられていく梅宮辰夫の姿に自分を重ね合わせて、とても良い緊張感で楽しめた。結局、この映画の冒頭の路地裏で梅宮辰夫がヤキを入れられる原因になる寸前のシーンに、最後に戻って「良い苦味のきいた映画やなぁー」みたいに東映らしく綺麗に終わると見せかけて、また調子に乗っている梅宮辰夫のシーンで終わる無限に失敗ループが繰り返されるチンピラ人生がこの歳になると、とても若々しく爽やかな読後感を感じられてとても良かった。
結局はもう失敗も出来ないし調子に乗ったら破滅する年齢なのだが、映画の中の夢の世界では無限に失敗して何度でも再出発して同じように過去を忘れてイキリ始める事が出来る。とてもフレッシュなのだ。そして、この映画はとても東映らしい松竹や日活の川島雄三鈴木清順の夜の女性シリーズとは違う種類の怜悧な艶めかしい表現もフレッシュだった。それは清順映画の白木まりや真里アンヌと、この映画での撮り方のズレを観てもわかりやすく楽しめる部分だと思う。