映画の話

映画 覚え書き

大雷雨

連休最終日にようやくラオールウィッシュ特集にこれた。猫を2日間 点滴入院させている事で可能になったのだが、もはや自分が映画に来ている事が許されない道楽なのか?猫の身体の状態をキープしている事が道楽なのか?よくわからない程 猫の医療費に金を使っている。その上で、癌になっている事に気づいていなかった方の猫が現在 入院してる方の餌を横取りする為にまさか癌になっていたとは知らず、いつも怒鳴りちらしたりしてしまっていた。
いずれにしろ、そこまで面白い映画ではなかったが、gothだった。久しぶりに、youtubejodeciのcan you talk to meを観た時に、2pacのjuiceの中でTVで流れていたラオールウィッシュの白熱を観たいな。と思いながら、色々と観れず、やっとこの映画を観たのだが、この映画のラストはjuiceのラストと全く同じであり、往年の邦画の名画女優と比べると、あまりにものっぺりした いい女をアピールするだけの浅い演技のマリーネディトリッヒと思いつつ、しっかりとgothという概念のみを体現する存在だった。要するに前田映画における財津一郎フランキー堺堺正章なべおさみの演技が役を演じつつゴスペルコーラスグループという概念も演じているみたいな意味に近い。この時代のハリウッド映画にバブル全盛期の健康的な明るさや正義への追及などなく、ひたすら社会的正義の押し付けと背徳=gothという暗い正義感が良かったし、見方によると黒沢清の叫びの葉月梨央奈っぽい役をマリーネディトリッヒがしていて、黒沢清があの映画で古いアメリカ映画のパロディを作っていた事には驚いた。つまり、トランプ政権に至るアメリカ経済への道が湾岸開発といえるし、その上でマレーネディトリッヒのナチス政権のスパイ役女優のハリウッドへの亡命の意味も被ってくる。ただ、映画自体はありきたりな甘いハリウッドメロドラマだし絵も古くて退屈だった。俺が馬鹿みたいに映画を観てるから資料として見どころが増えてしまっているだけだ。そして帰宅してみると、癌の方の猫が吐いていた。