映画の話

映画 覚え書き

カリスマ

黒沢清「カリスマ」。つまらなかった。叫び、復讐、loft、蛇の道など黒沢清もポツポツ見てきたけど、叫び意外はあまり面白くなかったし、ここにきてゴダール系の批評家系の作家なのか?と気付いた。叫びだけが別格に面白く、蛇の道や復讐も不思議な味があったが、この映画は盛り上がりがない。同じような理由で是枝監督の怪物もあんましだった。結局、批評家系やサンプリング系の作家でゴダール相米慎二の能力がずば抜けている。サンプリングのシーンと知りながら、そのシーン自体に魅力され涙する。そのような感情の昂りが怪物にもこの映画にも無かった。ただ、この映画で、別所浩司が彷徨える警官ーつまり黒澤明の野良犬のパロディかな?と思ってみていると、ラオールウォルッシュの白熱みたいな流れになっていく中で、白熱のマザコンのギャングが囮捜査官に心を開き始めるシーンの意味を、もっと注意してみる事で、あの映画の見え方が変わっていくのではないか?と、この映画の別所浩司と池内博之のやり取りを見ていて気付いたりもした。そこに蘇る金狼の風吹じゅんが絡んでいく。つまりルネクレールのルミリオンであったりカーペンターのゼイリブ的な社会自体が精神病院系の側面があったのか?とも思う。
ただ、僕は植岡喜晴特集で精霊のささやきを見ていたので、それに比べるとこの黒沢清作品は、遥かにイマイチだった。

ただ、良くできていたし、桐口依子や風吹じゅんがめちゃくちゃ綺麗にとれていた。池内博之が2000年頃のhiphopヘッズやit意識高い系ベンチャーみたいな人らの鬱陶しい感じを完璧に概念化していたし、御神木一本で西武劇映画史を語る手法もとてもミニマルで洗練されていた。ただ、物足りなかった。NHKサブカル文化史講座。みたいな感じの映画に感じたし、ホラー映画として怖がらせる目的は何処へいった?みたいな気にもなった。
何故、サブカル文化史みたいな批評の方向性にいくか?というと鑑賞者が一作目を観た時に何も感じとれないのに、世間の流れに乗ろうとしてダラダラと追いかけはじめた結果 学問的な感じになってしまったのだ。浅いマイブームの流れ。最近 ジャパニーズhiphopの流れに中途半端に自分で首を突っ込んでみて、それを強く感じた。例えば、少し前からアウシュビッツ映画ブームの流れがきているが、ミハイルロンムの夢などロシア映画の流れとフランス映画を並行して確認していかないとプロパガンダ映画の進化としてはあまり面白く感じられないだろうという事と、映画としての面白みを追求する前にナチスのやった事に興味を持つ。という以前に、俺は日本人だしナチスと関係ねえし!という事と、いやいやそういった歴史的に虐げられたものに興味を持つ事が人間的成長の一歩なんだよ?と、そんな映画一本みたくらいで虐げられた奴の気持ちがわかった気になるのか?どんだけ浅い奴なんだよ?みたいな色々な感じが混ざっていくなかで、次第に娯楽がお勉強や教育機関の世界になって、その学校法人に悪い政治家が集まっていく現象そのものの歪さを笑うのが編集、サンプリングという批評の遊びであり、プロパガンダ映画の味なんだよ。みたいに、泥沼化してく中で、「アウシュビッツ映画じゃなくても日活ロマンポルノ時代劇が良いんじゃない?(ナインティナインの矢部っぽい発音でお願い致します)