映画の話

映画 覚え書き

肉体の門

ヘルレイザー観た時、ブクロの悪口言いまくってたけど、やっぱ清順 久しぶりに観たら ザ映画って感じするし、日活と言えば清順。清順映画と言えば池袋東口角海老ボクシングジムと角海老ソープ。これはブクロの宝石ですよ!そしてパチンコ屋と文芸座とストリップ劇場!という風に映画館を出ても清順の世界がシームレスに広がっていて清順映画を池袋で観れて良かったです。

 

主演の河西郁子がモダンチョキチョキズの濱田真里のジャングル日和みたいなテンションで進駐軍のメットにタンクトップみたいなパンパンを演じていたのが、自分のイメージの中の吊り目で色黒でスケバンっぽいパンパンのステレオタイプのイメージから掛け離れていて良かったです。最初 このパンパンの比喩として、とっさにレゲエダンサーとか鈴木紗理奈みたいな比喩を書こうとしてめちゃイケのレギュラーだった事で、失礼だな。という感情が急に働いた事で、色々と自分の普段の思考回路について考えるようになった為にこの映画の理解を深める事が出来た。結局、フィンチャーのセブンとファイトクラブもこの映画もジョンクロフォードの雨も、娼婦と星条旗とコカコーラのCMみたいなとこでPOPに繋がって見れるな。と思った。それに対してデパルマスカーフェイスはどうか?スカーフェイスの画面の躍動感はまんまこの映画の撮り方だが。あちらにアメリカ社会に対する批評性は乏しくより娯楽性が強い。アルパチーノに社会に対する批評性はあまり感じられなかったが、頬にシリコンを入れて裸で大騒ぎしている宍戸錠には批評性があった。どちらも漫画みたいな演技と画面背景なのだが。

 

鈴木清順の不思議さと言うのは、いかにもステレオタイプなイメージと台詞によってガンガン映画を進行させていくものの、根っこのところでステレオタイプな狭い価値観の世間と距離をおいている事でアメリカの戦後民主主義政策における自由の素晴らしさとステレオタイプファシズムの危うさを映画に持ち込んでいる事だ。その事でアメリカンニューシネマ以上にアメリカ映画的な日本映画になっている。

 

というのをナインティナインのラジオを聴きながら会田誠の絵やフィンチャーのセブンが浮かんできた為に、そのまま清順映画に対する自分の面白かった感情を上手く分析出来て良かった