中平康 女の渦と淵と流れ
吉田喜重 秋津温泉、水で書かれた物語
五所平之助 雲がちぎれる時
などの良質なマザコン 御曹司文學青年もの
あと泉鏡花原作でいうと
白鷺 衣笠貞之助。だし
村上春樹原作の
なども思いだした
おそらく学徒出陣の文學青年としての鈴木清順は、ピーターグリナウェイとか現代アートっぽい絵にしないように無声映画っぽい雰囲気というかエロや笑いをバランスよく被せていった為に逆にアートっぽくなってしまった。みたいな感じもした。これをみると、むしろ黒澤の羅生門の後半の京マチ子と森雅之と三船敏郎のソリッドなフリースタイル芝居バトルみたいなのと見比べたりしたくなったし、あちらは最初観た時 ギャグっぽく見えたけど こっち見ると あっちは現代アートっぽかったのかな?と思う。つまり、何が言いたいかと言うと、鈴木清順はアート映画を嫌い、娯楽作品に徹していた時期はかなり現代アート的な思想強めの娯楽作品だったがアート志向の作品になってきて思想薄めになってきた。というかむしろTV的なわかりやすいエロや笑いの画面を単発的につみこみすぎたせいでわかりにくいアートになっているヤーレンズみたいな面白さ。みたいな。これはkohnがラジオでキングギドラのアンストッパブルをかけた時に、今のY2KサウンドとかEDMの文脈に初めて気付いた。というか。今までは右翼の宣伝カーめいたものに聞こえていた。結局、自分は高木完とkohnの中間くらいの世代なので、どちらの感覚からも遠く ちょうどPfunk色の強いhiphopが流行っていた世代というか。なので思想や情報過多なサイケな日活ロマンポルノの流れがしっくりきてたのだが最近 東映を観るようになってこちらの抑えた感じのがスッキリ気持ち良く感じるようになっている中で、もう一度しつこい清順を見直して、またよくわからなくなってきたし、ここまでしつこく情報過多な清順をみると逆に古いなーと思ってた黒澤がめちゃくちゃ新しいサイケに見えたりもする
あと、話はズレるが、この映画の予告編の台風クラブを観た時に岸和田少年愚連隊の画面がふいに浮かんできたし、ラリークラークのkidsの前に99の岸和田少年愚連隊があったし、その前に台風クラブのバービーボイーズのシーンあったんや!みたいな感動をキャロルキングのライフ映像見ながら気付いたりありましたが、昔台風クラブ観た時は気付きませんでした。話を戻すと、陽炎座の最後の子供が芝居するシーンを見つける松田優作。あの部分だけ、引き伸ばしてジェーンバーキンのサーカスストーリーになる。
中村かづおがオードリー春日の顔真似をして志村けんのヒゲダンスのつけ髭をして満面の笑みを浮かべている横でニッキーミナージュっぽい身体の娘がぴちぴちの看護婦着っぽいコスプレをして乳首が透けそうで透けてない。みたいなエロトピアと北陸地方の民藝品の中間のバランスに笑いをもってく感じが泉鏡花の世界なのだ。みたいな鈴木清順の泉鏡花解釈が良かった。
そういえば先日トゥームレイダースでお馴染みの花太郎の個室ビデオ屋に行って小早川玲子のエロビデオの喘ぎ声を聴きながらシコっていると、それに平行して野村萬斎が自分のオナニの声真似をしている声が隣から聞こえてくる。と思ってよくよく耳を澄ましてみると、長州力がお前の家燃えてるよー。なんて言っていた。みたいな怪談話を深夜の馬鹿力で聞いたような気もするがこれも幻聴だったのかも知れない。森鴎外と夏目漱石と芥川龍之介。曽根崎心中と平家物語 壇ノ浦の章と真珠湾攻撃。文學青年と学徒出陣と旧華族と明治の影。時代性