映画の話

映画 覚え書き

ピートザインストルメンタル

今週の伊集院さんの馬鹿力を聞きながら、僕は馬鹿力を聞く理由は、面白いくても面白くなくてもクラスの陽キャとか番長的な不良グループの会社がとってきた清水建設とかのでかい現場で不良ではない職長の下で働いている安心感というか、この意味というのは不良は意外と身内に甘く社会一般がどうなっているのか我々オタクも見失いになりがちでファシズム的になったり逆に異様に卑屈になったりしがちなところでコモンセンスを守る人というか、これはハラニシとか神田伯山とかオードリーとかの語りの響きに共通する的なもんというか...フォードの西武劇とか川島雄三映画をみるような割とルーティンな感じなのか?と思いつつ、最近の落語とフイッリップkディックが混ざったような科学的なトークや野球分析なども割と楽しい。そういえば春日のピッチングフォーム改善の話も楽しかった。

しかし、そういう前後5歳くらいの同世代トークにあきて、久しぶりに大竹まことのラジオも聴いてみると、伊集院の犬の話やオスプレイの話などをしていて社会的目線がもっと先。というか老人に近づいていてしんみりした。

ところでタケシはブラザーやtakeshisくらいから飽き始めてアウトレイジ辺りからまったく観なくなってしまった。ジブラも松本人志も観なくなって久しい。

たぶんメジャーになっていく過程でサブカル弱者などのこだわりに配慮している暇もないほどの大きなスポンサーや資本主義社会のシステムと対峙するからなのだろうと思う

 

最近は金が無くなってきて、映画も今までみたく馬鹿みたいにたくさん観れないな。と思いつつ、10年ぶりくらい久しぶりにPeteRockのPetethe instrumentalを聴いたら、めちゃくちゃ良かった。

このアルバムもjazz hip hopブームの時にお洒落ぶって買ったものの、ウッチャンナンチャンっぽいな。と思いながら、段々聞かなくなってしまった。

 

しかし、今回久しぶりに聴いてみると、音のニュアンスがめちゃくちゃ凝っているのに気付いた。

hip hopのサンプリングで映画の世界を表現するというのはMF doommadlibdj shadowもやっているけど、

ビートザインストルメンタルのアルバム4曲目はホラー映画をターンテーブルで表現した。みたいな、めちゃくちゃかっこよかった。

一曲目は諸星大二郎っぽいSFだったり、パリピ孔明とかゴースト オブ マーズ。パラジャーノフの火の馬とか北欧系の日本昔話的世界観とコズミックソウルーデトロイトテクノっぽい黒人の宇宙ファンクSF表現。これも、昔聴いた時はalways 三丁目の夕陽程度にしか聞き取れていなくて、微妙に雰囲気が転調する意味まで深く聞き取れていなかったものの、それはそれでウッチャンナンチャンみたいな感じで流して聴いていられたようなリラクゼーション的なアルバムな気もするが、このアルバム全体がウッチャンナンチャンなんや?みたいな感じで聴いていると、4曲目のホラー風味の曲の出だしの子供の声っぽいサンプリングも香取慎吾と欽チャンの仮装大賞とかあっぱれさんま大先生みたいに以前は流して聞いてしまっていたが、むしろアフエックスツインのcome daddyのMVみたいなイメージなのだ。

みたいに、貧乏になると、以前飽きて放ったらかしていたアルバムを深掘りするようになるなぁ。と東京MADスピンの高木完のゲストの河村康輔というコラージュアーティストのパンクのアルバムの話を聴いていて思ったのだが、この人が5〜6年前によく有名な媒体で目にするようになった時に僕はめちゃくちゃ衝撃を受けて家でコラージュ作品を作ったりして遊んでみたものの自分の中でパンチがなくてすぐに辞めてしまったものの、本人の話ではその時期でさえ、まだそんなに食えていなくてバイトと併用していたようだ。

 

いずれにしろ、僕の中で、パンクとコラージュとpopアート。アメリカの文芸映画ゴシックロマンスと家出のドリッピー朗読やスクラッチバロウズなどが一つに繋がりだして、SF落語っぽいターンテーブルコラージュも良いよな。と思ったが、それがいったいどんな表現になのか?は私も知るよしがない。

しかし、高木完氏が番組の最後で話されていたように、素人が芸人さんやミュージシャン、映画などの大量のセンスの良い情報にふれ、コラージュ的な欲望を自身の哲学的な思想と混同する事で自分が思想的政治的に元気がでてくるものの、それはアートではなく著作権の侵犯であり金持ちの道楽のような事なのかも知れず、金も技術もコネもない奴が己のセンスのみでジャンクをコラージュする事で成り上がる事のパンク的な格好良さに我々オタクが憧れる事でひとりの天才的ジャンクが宝クジに化けるという社会的妄想ーこれを絵にしたものが時計仕掛けのオレンジかも知れないと思った時に、キューブリックの映画はロリータも博士の異常な愛情もシャイニングも現金に身体をはれ。もバリーリンドンも同じテーマかも知れず、そっからチャップリンやルネクレールのキューブリック作品におけるサンプリングの意味も今なんとなく見えてきた