映画の話

映画 覚え書き

ニューヨークの波止場

この映画は、ハーワードホークスでルイズブルックス主演の「港港に女あり」(この映画自体が同じホークス監督 マリリンモンロー主演の「紳士は金髪がお好き」のセルフパロディーつまり元ネタ)の元ネタでありながら、波の波紋で別世界に転生していくシーンにジャンヴィゴのアトランティック号やラオールウォルッシュの金髪乱れて。ジャンコクトーのオルフェだったりもしつつ、よく考えるとブレードランナーの元ネタだった事に気付き、いよいよブレードランナーの話をしだしたら止まらなくなる面倒くさい映画オタクのおじさんの枠に入ってしまったなぁ。と実感致しました。あと、助演のオグラバクラノヴァがデビュー当時のマドンナにほくろの位置まで似ていて、どんだけスクリーンのドッペルゲンガーやねん?と思ったりも致しました。ふとスナックラジオを聴いてる時に、リリーさんがトゥルーロマンスの話をはじめて、あの映画のカップルの出会いの経緯も完全に忘れていたので、あそこにドイツ系アメリカ映画の色々なサンプリングージャンヴィゴやジャンコクトーも入ってるからよく考えるとアメリカ映画だけではないのか?ーが凝縮されていて、前のy2kの話をしながらホンサンスという単語を使わずボサノヴァと雪でホンサンスを暗喩する過不足ない的確なスナイパーぶりに驚かされる。同時にタランティーノマッシュアップの凄さなのだ。いや、要するにトゥルーロマンスの冒頭の話でタケシの3×4×10x全部になるし、タケシ映画からニコラスレイの夜の人々にダラダラ繋げたりしながらアメリカンニューシネマの日の出から日の入りまでを映画で振り返ってるのがトゥルーロマンスの凄さで、リコリスピザでその先がまた始まるのだが...名刺も差し出さないで終わんない話。もうこれ以上訳のわからないオタク話を止めにしよう。ホンサンスの映画の中で流れるTLCは良かった。エドワードヤンの台北ストーリーのフットルースとか。そういえば菊池成孔中原昌也のイタリア映画対談の時に甘い生活の中盤に出てくるロカビリーバンドのcd探して買いました。と言っていて、やっぱり、あそこはアゲポイントなんや。と思ったし、熊座の如き淡い星座の近親相姦の弟が登場するシーンのロカビリー未満イタリア歌謡以上 みたいな曲も良かった。というか、イタリア映画はジャンルはずしの美学みたいなのが良かったが、日本では僕が映画にハマりはじめた3〜4年 イタリア映画特集にはあまり力をいれていないせいで僕はホラー映画しか知らない。定番のネオリアリズモ特集にマメに通って発掘するくらいしかないが、細野晴臣のラジオを聴くと、昔はキワモノのイタリア映画特集がよく組まれていたようだ。たぶん、黒澤明のキワモノ映画「どですかでん」などを推す宮藤官九郎も昔は全然よく分からなかったが、定番を見尽くしてしまうと、ああいうモノがどんどん輝きを増してくるのだろうと思う。一度は納得したものの、また最近 陽炎座サラサーテの盤も微妙になってきてしまっている。脳がドイツ映画寄りになっているのだろう。

2組のカップルの船乗りの話でありながら、この四人の違うキャラクターの各々の一人称の悲劇のメロドラマ妄想になっているような話。つまり4人格が一人称の妄想の未来予想図になっている。というドイツ映画らしい精神病理的ラブロマンスだ。とはいえ、今回も「病める時も健やかなる時も永遠の愛を誓いますか?」の結婚式のところで自分家の猫の事を考えて泣いてしまいました。

結局、猫かよ?人間とか会社とかじゃなくて?男が?責任の重さ 全然 同年代の既婚者の方と違うやん?という声も聞こえてきそうですが...ウルセー!
まあ冗談はさておき、いやいやいや冗談じゃないでしょ?冗談ですまないですよ!日本社会はそんな甘いもんじゃないでしゅわ!シュワちゃん!もう手話で勘弁してちょーだい!竹本ピアノ。みたいな。みたいな。
そんな感じで、この映画の感想もお終いっす。

そういえば窓の外に、結婚生活の倦怠期に忍びよる誘惑の象徴として、カモメが自宅の窓の外を不自然に暴れ回っていて、この映画のオマージュで家のセットを鳥籠にしてしまい、主演女優をPTSDに追い込んだヒッチコックは、現代では確実にパワハラ監督として社会的に追放されていただろうし、世界的なラブロマンスの映画の名手として名高いヒッチコックですが、ヒッチコックは変質者。みたいな認識が僕の中では定着していますし、クライブバーカーやピーターグリナウェイなどイギリス人に対するイメージも僕の中では病んだものになっています。実際にイギリス人の知り合いがいないせいもあるでしょう。