映画の話

映画 覚え書き

落葉

四月のボリスバルネットのような古臭さに対して、こちらはヌーベルバーグの傑作という感じがあった。パオロローシャの青い春やシオマドクの日曜日の人々、パラジャーノフの火の馬の記憶が混濁しながら映画を終えた

 

主人公の顔がすこしアルパチーノに似ていて、自分が若い頃に夢中で追いかけたアルパチーノのスカーフェイス像がハリウッド映画世界という核家族のマンションの一室でひたすら母親や子連れのシングルマザーに暴力をふるう引きこもり少年の世界観にも思えてきた。

四月と同様に世界の枠組みをどこまでもフレームアウトしておし広げてメタ化していってるように見えて、実はその広がった世界観がどうしょうもなく小さな枠組みの中にすっぽり収まる不思議さ。という意味だが、これに気付くとむしろ眠かった四月の方が詩的で高度に抽象的に洗練された作品にも思えてくる。そういった訳で、自分は旧ソ連体制の映画〜帽子箱の少女やアル中女の肖像など〜の手法がサイレント時代的な映画をいつでも古臭く退屈だな。と思いつつ、どこか引っかかり続けている。