映画の話

映画 覚え書き

フィルムグリ

フィルムグリの魅力とは、社会派ノワールというジャンルの割に登場人物に社会性がない面白さで、いい年こいたヒキニートのおじさんが朝10時ごろ起きて「いい加減仕事を探してこないとぶっ殺すぞ」とかお母さんに言われて、友達と街強盗したあげく警察殺して、街でナンパした女の家族捕虜にして立て籠ったあげくに捕虜にした父親に「娘さんを僕に下さい!」と拳銃をつきつけてプロポーズしたり、実家のお母さんに電話して車でむかいにこさせて逃走しようとしたり、妻が浮気して出ていって浮気した男殺して家に戻ってきてすぐ警察きたり、とにかくめちゃくちゃな人ばっかりで、どこまでがリアルなアメリカ社会でどこからが超現実的詩(スーパーリアリズム)なのかわからないとこ。

また従来のノワールよりストーリーが個性的だ。インドとかにいるストリート詐欺師が街で前田明をみかけてアンドレジャイアントとの試合のプロモート権を勝ち取るのだが、試合日前日に前田明アンドレが喧嘩をはじめて、死闘の果てにアンドレ死亡。最後は警察とマフィアに追われて高架下の川辺で殺される。などアメリカ現代版日本昔話ー星新一とか筒井康隆みたいな感じだ。

そういう事を意識しながらブローディガンを読むような気持ちそでピンチョンに挑戦してみたがあまりよくわからず、とにかく話が脱線しながら細部の描写がどんどん細かくなって伏線も回収されてないような感じで生き物っぽい。支離滅裂な俺のブログと一緒だと思った=何も読めてないだろう。

 

あと、悪の力のロト6の小規模ノミ屋やってる兄貴の半地下みたいなとこにあるオフィスの階段つうか坂を上がってでかいオフィスビルの上階のゴールドマンサックスみたいな顧客の社長の部屋まで地続きで一個の九龍城みたいな複合ビルっぽいビジュアルで見せていくところ。パラサイトもそうだったか?そんな星新一みたいなとこもある

 

結局、紀元前ヌーベルバーグ特集、フォード特集、日活ロマンポルノ特集、ジャロ特集、台湾、中国映画特集、ネオリアリズモ特集など色々な特集をみている内に、小噺フェチになってしまったようだ。それでTwitterや芸能ゴシップ記事は小噺未満という事になって自分で記事を追加脚色して小噺にしたりして満腹感を得ようとしていたが、満腹中枢がいかれている。Twitterで芸能ゴシップに興じてる人もだいたいそれだ。だから社会派ノワールとは、つまり満腹中枢のいかれた小噺フェチみたいな人達の社会を映した小噺。みたいな感じになると、TVで春日をみてからブラマヨの小杉をみて年末の親戚宅の集まりを勝手に脳内再生して大変だな。みたいな感じでTVと現実が地続きの感覚になる。という異常者を扱ったノワールなのだが、大半 年末TVは観るわけだから独りもんの異常者なんだけど平凡な感覚の人というか。実際、ラジオでオードリの番組をずっと聴いてて中吊り広告やTVで見かけた時に他人の感じしないわけだが、冷静に考えると一回も会った事がない赤の他人。みたいな感覚の素人達が映画の中でトラブルにまきこまれて右往左往していて、全てが異常なのだが、それをまた、映画館という帰省した田舎のこたつ。みたいな感じで、よく考えなくてもアメリカ社会だし自分と全然関係ない話に自分の行く末を暗示するハニーだったりする異常さの面白さ。というか。後は、まあ小木矢作や劇団ひとり外資系企業に就職した同世代の日本人でチョコレートプラネットとかオリラジまでぎり日本人だとすると、ハライチとかオードリーとかは完全に若い頃に映画でみたアメリカ人みたいな感じになってるんだけども本人達が庶民寄りで話す為にアメリカの田舎=ツインピークスを観てる感じというか、そういうのもノワールの記憶と混ざって新鮮味を感じた。昔 親父が矢沢みたいなGパンに白シャツにセカンドバッグを持ってる自営業。これはポールニューマンやジャックニコルソンがやるやつ。だからアメリカ人。みたいな下の世代に対する誤認識なんだろうと思う。そういう意味で10年前ラジオで「マニアクラブで昔ははしゃぎまくていたよな?」みたいな事を喋っていた矢作が有島一郎の腹巻きをした駄目お父さんみたいな感じになっている事やそのマニアクラブではしゃいでいた頃の矢作がリコリスピザっぽい感じだったんじゃないか?みたいなアメリカ人が日本人化してるところでリコリスピザにも衝撃を受けたし井上梅次の映画もみて、ずっとTVを見てる矢作が気付くとシームレスに有島一郎になっている事にも衝撃を受けた。たぶん親父からすると、大吾や宮迫もアメリカ人なのかも知れないし、アメリカ社会と同化したいという無意識が遺伝しているのかも知れない。

そんな中、松ちゃんのあの体型を観て三島由紀夫と結びつけている人がいて笑った。おそらく頭の中に石原慎太郎が住んでいる事だろうし、もしかすると太陽族=自由の国アメリカとフランス。みたいなブランニューヘビーズな感覚まであるかも知れない。結局、芸能人 本人の意図もそれを憶測する一般人も報道記者もでたらめな思想で突っ張り交錯していて、まさにフィルムノワールツインピークスっぽい感じの受け止め方をする。そうするとチョコレートプラネットのコントっぽくなる