映画の話

映画 覚え書き

夜の牝犬

結局は、夜の歌謡ブルース 長崎の雨を昨晩観た時点では、大原麗子の魅力はあまりわからなかった。つまり別段 東映である必要もなく、むしろ日活とか新東宝系の女優のようにも思えた。そのような感じで松田優作の魅力にも自分は気づけないまま映画を追いかけ観続ける日々も終わりに近付きはじめている。いずれにしても映画史として女優 大原麗子の凄さにこの作品で気付けただけでもラッキーだ。この映画を観ないで大原麗子という女優を学生時代のkdubshineが語る渋谷区民の近隣のガキから感じの悪い奇妙な尖り方をしたおばさんとしての晩年エピソードやTVの古谷イッコウのドロドロの不倫ドラマのお相手役の汚れ芸人として子供の頃のTV番組のチープな記憶として過小評価したまま、自分自身の映画史もチープなものとして幕を閉じるところであった。この映画を観た後では、k dub shineのこのエピソードすら、ファズビンダーのベロニカフォスの憧れ。のようなドイツウーハー時代の伝説の日本版のようにさえ思えてくる。
長崎の雨の松方広樹を階段で差し違えるつもりで着てきたシースルの服は確かにエロかったけども。だがこの作品を観て、電気が走ったように魅力された。そして、ずっとエロくないなぁ。と思い続けながらダラダラと過去作品を観ていた今回の緑魔子がめちゃくちゃエロくて過去作品最高至上でテンションが上がった。顔が性器なのだ。そして、ここでの群馬から出てきたカッペ娘 大原麗子は剥き出しの顔面性器以上の何か。もはや詩なのだ。ブルースという名のSF。ターミネーター1の世界観だ。その世界観で上野動物園で梅宮辰夫とデートする。象の顔面アップのシーン。圧巻だ。

話はだいぶ、それたが、この作品のラストでこの映画が芥川の蜘蛛の糸をSFっぽく仕上げてる感じが大正浪漫ゴダールSFを観ているようで素晴らしい

とにかく東映は掘る度に、とても新しい。ゴダール以上の隙のないヌケを映画に求めれば東映になるし、後期 東映カラー映画は白黒時代の緻密な美の調和から大きく逸脱した腐りかけの美さがある。その流れがシームレスにタランティーノの温故知新的な映画破壊へと繋がっている。

前作 夜の歌謡ブルースで倍賞美津子浅丘ルリ子の日活体当たりセクシー女優の系譜と思われた大原麗子が、今回 旧東映の完璧なコンサバと中期カラー東映のキャラ破壊のアバンギャルドを組み合わせた田舎っぺAIっぽいデジタルアンダーグラウンドとして復活し、梅宮辰夫のオカマアバンギャルドとより色気を先鋭化させた顔面セクシー凶器のアバズレサイボーグとしての緑魔子が脇を固める

結局、タランティーノがユアサーマンやリューシーリューを起用する意味も、東映緑魔子藤純子の劣化版を作る事にこだわった結果のようにも思えてくる