映画の話

映画 覚え書き

スキャットマンジョーンズのジョ〜ンズ感。

稼いでる奴は稼いでるし。割と有りかもね?素股のスキャットマン。猫達も不安よな?儲かってる奴等が必ず実践しているニャロメの経済学で僕らの血液もサラサラにっ!
曲線とは、刻一刻と変化するスロットの当たり目の繋げたもので、その形が円なら、確率は変動しない、とすると花などの形は、どういう確率を表しているのだろうか?
太陽はひとりぼっちのモニカベッティを花と捉えるとアランドロンの証券マンは蜂なので、蜂の字形の絵を描きながら蜜に吸い込まれていく。なので81/2とノーランのダークナイトがそれぞれフイリッツラングのマブゼ博士の別の一場面を模写しブラックマンデーを暗喩している。
このように無数に存在する恋愛ドラマの雛形をxy平面と捉えるとz軸であらゆる時間軸という基準で繋げる事で遠心分離器になり、どんどん時間が縮まっていった時に、ゴダールのアルファビルになり最終的には、サシャギドリのデジレまで行くが、そのSF的なメロドラマのギドリのパターンは、シェイクスピアロミオとジュリエットのサンプリングなのだ。
このような感じで、2pacのジュースで観ているウォルシュの白熱も、2pacのラップの中のシュイクスピアのジュリアスシーザーの台詞の一節に繋げて語る事も恐らくは可能だが、結局のところ、シェイクスピアのやっていた事はメロドラマの時間間隔の極限までの短縮とその結果として起こる過去の現実が時間差で別の国に写像されるという呪いに近い感覚(確かニーチェ善悪の彼岸古代ギリシャ悲劇の思考が演劇の世界に受け継がれている。みたいな事を書いていてピンとこなかったが、これは今考えるとシェイクスピアに対する批評であり、それがワグナーを通してナチス政権に繋がっていく。という芸術論の本にみえて政治批判であったが、ストロブユイレがこの感覚をアルテミスの膝やアンティゴーネーで映画にしており、そのパロディとしてウディアレンの魅惑のアフロディーテがあるが、あれはヤリマンの話であった。同じヤリマンの話でスパイクリーのデビュー作にも似ていたが、あれはどちらかと言えば、カサヴァテスのアメリカの夜っぽいドキュメンタリータッチの質感であった。あのドキュメンタリーと映画的世界をいったりきたりする社会派映画っぽい切り口はヴィスコンティベリッシマだが、ステージママのお受験の話がいつの間にか2世政治家達の自民党金権癒着政治の話と子役アイドルデビュー映画の話がたびたびシームレスにすり替わっていく話術はひどく手際が良く洗練されていた。)であり、その感覚がイギリスの大航海時代植民地主義時代の人々のある種の最初期のグローバリズムの共通感覚ではないだろうか?と私は邪推する。

最近は女性の顔が性器に見えてきて、黒田清輝の生まれ変わりなのか?と自分の神的な思考のスピードにただただ驚愕し、鳥肌ものである。