映画の話

映画 覚え書き

バッドルーティン

ハーヴェイカイテルと言えば、荒馬の女やクロッカーズなど沢山の代表作がある。パルプフィクションやレザボアドックスなんかもそうだ。

レッチリのgive awayという単語は、カソリック用語なんだな。と気付いたし自堕落の限りをつくす悪徳警官がラストでまさかのスクールウォーズ山下真司になった時、その初心貫徹なげやりなCHICKEN ジョージなセンスにぶったまげた。
今週はサンドイッチマン空気階段→オードリー→小木矢作→爆笑問題ナインティナイン ゲスト 勝俣→深夜の馬鹿力とまるでこの映画を逆回転したようなオープニングトークラインナップだった。
TV司会者としてのハーヴェイカイテル。
TV司会者としてのデニスホッパー。
戦場ジャーナリストとしてのデニスホッパー。
TVレポーターとしてのジョニーデップ。
ビッグマグナム黒岩先生

ここから後の話、テキトーに色々とベラベラ自分の知っている知識を出鱈目に書いていたのだが、驚くべき事に全ての話題に共通するのが三島由紀夫であり、三島由紀夫の不道徳入門の思想が根底にあるな。と後から気がついた。そこに、三島由紀夫美輪明宏坂本龍一安藤昇川口浩。今のLGBDの流れの全てを繋げる安部譲二の本がある。

そういえばジ アウトサイダーにも黒岩という選手がいた。狂犬で絶対に負ける選手という格闘技をスポーツとして捉えると常識はずれなプロモーションだった。瓜田純士なんかもそうだ。歴史として振り返ってみると不思議な話だが、練習しないように見せかけて勝つ。という全盛期の魔裟斗のプロモーションが更にねじれたものになっていて、練習しないで秒殺でさらに負けてさらに負けたリング上に大量の輩の仲間が乱入して買った選手より目立つような演出をしているのだ。しかしそれが今の迷惑youtuber系プロモーションのパイオニアになっている。ジアウトサイダー自体も前田明のパワーオブドリームの著書時代の実力至上主義の信念と真逆の興行運営方法になっている。
(ビッグマグナム黒岩先生のルーツはダーティーハリーなのか?そこから前期ドンシーゲルの2丁拳銃(これをフォードの三悪人や荒野の決闘。太陽は光り輝く。などのオールド西武劇の理想主義と比較する事で、そのリアリズム表現に驚く。その象徴としての映画におけるマシンガンの登場の話などがある。そしてドンシーゲル西武劇の中にも前期と後期がありカサヴァテスの殺人者など西部劇の様式美が黒人の良心的刑事や白人のモラルが崩壊したあぶない刑事ものに変化していく。ブラックカラーギャング映画に変化する途中にカサヴァテス映画による白人のブラックムービーが並走してある。日本で言えば役者 伊丹十三浅丘ルリ子のアングラっぽい芝居と並走している)

この映画を観る事で、デニスホッパーのジャイアンツと地獄の黙示録アメリカの友人やブルーベルベットとカラーズ。ハーヴェイカイテルの荒馬の女やパルプフィクション、クロッカーズ。で両俳優が演じたキャラが半周遅れで被りながら平行移動していき、そこにマーロンブランドやクラークゲーブル、ジェームズディーン、マリリンモンロー、ロバートミッチェムとニコラスレイ(ヴェンダースのニックスムービーとラスティメン。パリ テキサスのブルーノガンツ)などのアメリカンニューシネマ前夜の西武劇レジェンドの影が絡んでくる。そして、こうしたアメリカンニューシネマ史を楽屋裏から振り返る映画がリコリスピザなのだ。しかし、この映画に先駆けて前田陽一が大スターがセレブに憧れる一般人を演じる往年の名画のパロディ映画を幾つも作っていて、そこからスパイダースやタイガースの素人臭い人間を演じるスターの演技の形が産まれていて、そのマチャアキのプロが演じる素人芸メソッドが明石屋さんまのリアクション芸に踏襲されている。当初 アステロイドシティを観た時全く意味がわからなかったが、この映画はハリウッドがパロディ化した前田陽一映画だ。それがわからず、マッドディロンやトムハンクスが渋谷実の好人好日の笠置衆や昭和の日本のTVっぽく演出しているが微妙に違和感があって成功していないなぁ。所詮 アメリカ映画だなぁ...。などとブログに書いてしまっていた。つまり、ウェスアンダーソンは師匠の渋谷実のパロディではなくて弟子の前田陽一の方のパロディを作っていたのだった。前田陽一が昭和のTVのほのぼの系のバラエティ番組や相米慎二に与えた影響のデカさは前田陽一映画をみるとすぐにわかるが、初期の濡れた逢引の加賀まりこの使い方などは、木下恵介中平康、初期の中川信夫などの往年の文學的なメロドラマをゴダールっぽく崩した作品になっている。

この映画の汚職警官というジャンルの平行移動する形でアレックスコックスのエル パトレイトなどもあるが、期せずしてアメリカン ニューシネマの源流を辿る映画史を見直すよい機会になった。youtubeのriseのjesseとd.oの対談などをみていて、アメリカンニューシネマと2000年代のミックスチャーバンドとhiphop。格闘技ブームの流れがスケボーのパークを中心に盛り上がってきたのか?だから五反田と池袋がハブとして繋がっていってるのか?と思った。それで池袋が北区と板橋と練馬と埼玉をつなげたり、五反田が太田区と葛飾区や千葉の方を繋げたりしているのか?と思った。中野区と新宿区が渋谷で川崎と繋がったりスケボーをしないので僕にはそのような土地の認識感覚はないのですが。考えてみると、面白い

そんな意味で役者としての2pacもjuiceやabove the lawなど、映画史的にみてもかなり個性的なgothヒールを演じているのだが、ラオールウィッシュやフィルムグリなどの地味ノワールからみていくと、その時代にトラック運転手や新聞記者がギャング映画の主役に変わっていったように、90年代の黒人ノワールというジャンルにはやたらとバスケットコートがでてくる。そんな意味でハライチの澤部やオードリー若林の語るバスケシューズ収集やバスケ部アピールも我々50代にとって微妙にわからない記号情報になっている。その温度差は、同世代のサンキュータツオのバスケ部出身者の感じによく現れている。自分らの時代にスラムダンクもなくブラックムービーが流行りだしたのも引退直前だった。不良っぽいイメージというのがバスケという部活にはなく、それらはサッカー部や野球部だった。サンキュータツオのムラサキスポーツに通ってそうな感じ。といいましょうか?むしろ、マキタスポーツのがhiphop系の垢抜けた雰囲気なのだ。
マキタスポーツに弄られるムラサキスポーツに足繁く通うサンキュータツオ
ただ何人かの流行に敏感な先輩がice Tやdj jazz jeffなどを聴いていたが夏の合宿所の主流のBGMはサザンだったし、公の場所でそれらの音楽はまだまだ騒音だったような気もする。僕は虐められっ子という理由で、主流派が嫌でhip hopを聴いていた。というのも当時はバンドブームであり楽器の知識もなくメロディがないのでセンスの悪さを周りから弄られない。と思っていたのだ。当時は、ダウンタウンのコントに出てくる頑固職人みたいな顔で訳もわからずhiphopを聴いていた。だから、一個下の後輩くらいからhiphopやお洒落な不良イメージが浸透しはじめたバスケというスポーツ。当然、バスケが下手のみならず不良っぽいお洒落な雰囲気もない僕は、後輩にもジミー大西や黒ちゃん。みたいな鈍臭い馬鹿力系のフォレストガンプ。オタク系の先輩として舐められていた。