映画の話

映画 覚え書き

ウェスアンダーソンとタモリ

今週の伊集院さんのラジオを聴いたところ、12モンキーズみたいなリスナー俺だけじゃねえんだ!伊集院さん毎週こんなリスナー達の意見吟味して料理つくるの大変だなぁ〜と気付いた。

 

今回タモさん風に伊集院さんが番組の司会をした時に、タモさんがいかに毒舌の強弱をわからないようにわからないように微かに含まれているか?に気付いて勉強になった。夜のタモリから昼のタモリへ。昼の伊集院から夜の伊集院へ。しかしウェスアンダーソンが小津や川島雄三木下恵介。イタールオセアーニ。森繁やnigo風の美術や笑いのニュアンスをセンスよく映画に複雑に取り込んでく事で、タモリ倶楽部と比較して今ひとつだなぁ。みたいな視覚効果になり、ウェスアンダーソン。ヒップポップ。サブカル文化人。ラッパー。ヒッピー。全てがタモリ グループ傘下に文化的に吸収されてくのが凄いな。と思いながら、確かにそういえばウェスアンダーソンのコマの動きが赤塚不二夫にも似てたし。それで安心感と同時に物足りないなかったかも知れない。

例えば、ローラがタモさんにタメ口を聞くのをやんわりとした棘のある表情で流すだけで、タモさんのブラックユーモアとして機能する。その時にタモさんの顔とサングラスとローラの顔の造形と絡み具合の全てがウェスアンダーソンの毒のある柔らかい丸みを帯びた日本やメキシコ、南米風の美術造形にある意味優っている。

そういう意味で、宮沢りえタモリの番組はとてもチグハグで居心地が悪かった。それで、市川準トニー滝谷を見た時、イッセー尾形があまりにも気持ち悪いキャラクターを演じる事と宮沢りえの過去の大女優のリミックスみたいな人工美的な演技の不思議な調和がイタリアンホラー映画としてかなり綺麗な仕上がりになっている事にとても驚かされた。トニー滝谷宮沢りえの天才女優ぶりを見せつけるものだが、不思議にアメリカ人にはあまりアピール力はなかったようだ。そういう意味で、アメリカ人はメロドラマが好きな一方でアイコンや思想、概念、フォルムを極力ミニマルに簡略化することに心血を注ぐのが伝統かも知れないという仮説に基づいてアメリカ映画を見続けているが未だに答えはでない。しかし、この村上春樹原作のイッセー尾形演じる主人公も全く同じ思想にとりつかれて人生が枯れ果てていく。その風情がとても気持ち悪い。ただ、この作品のジャスミュージシャンの家系図。という話がアメリカのスパイに疑惑をかけられた家系という文脈を薄ら絡んでいるところが面白いところで、増村保造の黒の試走車における陸軍中野学校。みたいな文脈を孕んでいたり、タモリのサングラスが憲兵と幽霊の満洲国のスパイっぽかったりするのも、なんとなく面白いな。と思いましたし、モテ非モテに関して「アメリカンスクールのスパイか?お前はー!」みたいな文脈がかっての運動部にあったのも、面白いな。と思いました

 

それはそれとして、もう少しアメリカ映画やフランス映画史として見方を変えてウェスアンダーソンみた方がたぶんもっと面白い映画として分析出来るんだろう。と逆に思った。