フランス映画は影の軍隊などのように、全て暗殺して歴史の闇に葬り去る事がカタルシスなのだ。
確か渋澤龍彦の夢のかけらにもファラオの墓と秘密結社とユダヤ教の比喩をフランス文學から抜粋した一文の切り抜きがあったが、あれはナチスとレジスタンスの話に繋がっていたのか?
そのような妄想をしていると、ふとモラン神父のベルモントが浮かんでくる。いぬの時もそうだし、もっと言うとリオの男でもそうだが、この俳優はピエールエテックスと同様に饒舌にして寡黙。サイレント映画時代の雰囲気をたぶんに残している事はレジスタンスの影響なのか?などとふと妄想してしまう。
そうして考えてみると、この流れはジャンピエールレオからデニーロのタクシードライバー。
デニスホッパーやジャックニコルソン。最近ではジョーカーシリーズなどのアメリカンニューシネマの饒舌な狂気。へと派生していく。
アメリカンニューシネマの中のヨーロッパ性について断片的な記憶を繋ぎ合わせながら、ポールニューマンのハリーアンドサンやジョナサンデミの愛されちゃてマフィア。フィンチャーのセブンなど、wandaやさらば愛しきカモメ→ロッセリーニ「快楽」→ラオールウィッシュ「夜までドライブ」など