映画の話

映画 覚え書き

文章について

なんとなく、観終わった瞬間映画の記憶を残しておきたい。と思い始めたブログではあったが、たまに読み返してみると、まともな文章になっていなかったり、自分の幼稚さが溢れ返っているようで、これは非道い!と文章上達の方法として、とりあえず文章の上手い人のブログをフォローして書き方を分析しようと思いたったものの、そのブログの文章を読んで上手い人の言い回しをどんどんパクっていたのでは、ツイッター伊集院光のラジオの話し方を真似て自分のツイートに大爆笑したりディスったりしていた時と全く変わらず、最近久しぶりに深夜の馬鹿力を聞き直してみて、まず話芸うんぬんより心の部分や他者への思いやりこそが文章や笑いには大事なのだが、その性根の部分が自分は腐ってたり幼稚だったり軽薄だったり自分勝手だったり。しながら一番良くないのが大衆に迎合している。というか、誰かに読まれたいと思い始めた瞬間からが自分の浅薄な虚栄心が溢れだし。要するに自分との闘いなんだよな

 

最初に、人様に面白いと思ってもらえないような魅力がないつまらない人間だから。というだけならまだしも、その俗物性が人を不快にさせたりする。で映画ばかり観るようになったのに、映画ばかり観ていると、観た記憶を残しておきたい→ブログに残しておきたい→ブログを読まれたい→誰かに相手にされたい→読者にチヤホヤされたい。などと、どんどん要求が過剰になっていく事の怖さ。がまさに、先日みた衣笠貞之助の白鷺の佐野周二だが、良い人間としての佐野周二という役者に自分はハマったのだが、嫌な奴だったり歪な役の佐野周二も面白いな。

唯一不良の役だけは似合わないのが佐野周二なのだ。そうした訳で僕も日常生活で佐野周二のような感じで人から見えるように話し方つうかマインドを工夫したりしている。若い頃はジャンピエールレオの役の人みたいなキャラだったので2重にインチキくさい感じにはなってしまってはいるのだが。

ステロタイプな人生とはステロイドと同じくらい怖いものだ

 

驟雨→てんやわんや→カルメン故郷に帰る→とんかつ大将→花影→箱根山悲愁物語→白鷺

などが、僕のおすすめの佐野周二 映画です。

 

結局、書いてるうちにまた支離滅裂なひどい自分語りになってしまった。これも性欲の一種なのだろう。