映画の話

映画 覚え書き

松本人志

俺は大衆的や庶民的みたいな事が嫌いで流行ってるだけでイラついて観ない。行列の一番後ろに並ぶのが嫌なのだ。だが、天才と呼ばれるような人の作品はほとんど分からず若い頃はわかったフリをしてチェックし続けていたし、俺が気にいったものはすぐ大衆も好きになったし、人と話していても好みが他人とズレているみたいな感覚もなく、俺がわかるレベルは他の人も説明すればだいたい通じる。つまり大衆的なのだ。

大衆に寄りそう芸能という意味でいうと、20年前は中原昌也スノッブ。みたいな事でずいぶん叩かれていたし、中原昌也の単行本に衝撃を受けた俺も中原昌也のすすめるブニュエルなどほとんど鑑賞したもののあまりよく分からなかったし、ジョルジュフランジュに至っては気持ち悪くて吐き気がした。それから20年、過去のおすすめ作品は全て忘れがたい名作になったが、今すすめている作品はやはりわからないものも多い。

そして、作品の良さに気づいた場合に彼の名文に本当に魅了される事が多い。数分違わず無意識レベルまでの作品の良さが言語化されている精密さにいつも驚くばかりだ。

 

吸血鬼が日光で腐敗するような一瞬を永遠の時間に投射するエクスタシー。ドライヤーは映画に神々しい光の奇跡を発見した。いつまでもスクリーンで鑑賞されるべき傑作の数々に、ひたすらため息。

 

試しに自分の吸血鬼の文と見比べて欲しい。観た作品は同じなのだ。今の松本人志が面白いか?など俺に判断できる筈もない。俺は、今の松本人志の笑いもカニエもずっとよくわからない。カニエは最初から今に至るまでわからない。

 

大衆性とか視聴率って何なのだろう?