映画の話

映画 覚え書き

麦秋

昔の塚本晋也作品のノワールのようなぶつ切りされたモンタージュのようなカットの繋ぎと偏執狂のように角度や画面の対称性がきっちりあった画面と影の部分がまるで黒塗りのベンツのようにめちゃくちゃ圧力がある画面で、松ちゃんそっくりの笑い方をする原節子が画面の真ん中で飯を食っている。後ろでずっと無機質なオルゴールの音が鳴り続けている。考えてみると、放送室はずっと聴いていて毎回大笑いしていたものの「最近の30代のガキは甘やかされて育って周囲が見えてない為気遣いも下手で、礼儀を教えるのも疲れる」的な事を言っていて「ウゼー」と思った。それから仕事が忙しくTVもつけるとうるさくなりいっさい見なくなっていたが、最近のワイドナショーをたまにみて「老害?というか、なんか末期の古舘さんぽいTVで自分の意見をいうのも投げやりな感じ?」も特に何も思わなくなった。好きも嫌いもなく、俺の中で鎌倉の大仏化してしまっていた。

この映画における原節子は、お金持ちの家のお嬢なんだけども、戦後すぐの両親が空爆されてストリートで弟達を育てる必要上ハリウッドスター的振舞いをするはだしのゲンの姉。みたいないつもの原節子キャラを踏襲しながらも今回はリアルお嬢様の設定という屈折した役どころで、淡島千景は普通のお嬢様役だが、僕は淡島千景のファンなのでそっちばかりみていた。

佐野周二のエリート社員役はy氏の隣人の悪魔のように不気味で時節天知茂憲兵と幽霊やその男凶暴につきの岸部一徳のようでもあり、笠置衆の裕福な家のレールを踏み外した事のないような兄の権威主義と我慢の効かない子供の叱り方と裕福な子供の舐め腐った愛や物事を雑に扱う感じ。このような記憶が、そのまま、その男凶暴につき の冒頭に繋がっていく。

 

小津安二郎のいつもの全てがダークノワールで松ちゃん引退記念映画としても大変良かったが、隣りのお爺ちゃんは原節子がエリートでない男に嫁ぐのを決めた時に身を乗り出していたので原節子=松本人志でなく、原節子=戦争孤児のハリウッド女優 原節子として観ていたのだと思う。僕は、原節子という伝説の大女優を自分なりに表情の真似から初めてアレンジして更に金髪にしたりマッチョな肉体改造したりして自分の改変キャラを更に改悪させている松ちゃんのギャグのどぎつさと原節子の精神の部分は割とマジに松ちゃんの日頃主張する貧乏な人の為に明るさを提供するみたいな真面目な主張が混在しているアナーキーさに内心大笑いしながらも、だんだん原節子の中にある松ちゃんの表情が美輪明宏の顔に見えてきたり訳わからなくなり、だんだん原節子の顔を意識的に見ないようにして淡島千景だけを観ていた。やはり、この映画でも淡島千景がダントツでエロい。しかし、よくよく観ると先日逮捕された いただき女子にも似ているので、結局は人間は何度しくっても本質は変われない。という事なのだろう。