映画の話

映画 覚え書き

煙突の見える場所

ロバートアルトマンっぽさ。というかイタールオセアーニ的というか、rootsの proceed的というか、マッシュブアタックのprotectionのpv的というか、断片的な別々の登場人物がラジオというメディアを媒介しながら一つの話に集約されていくー捨て子を育てる話なのだが。ーラジオ器機を分解している短いシーンの絵が塚本晋也の鉄男っぽかったのと、とにかく夕陽と河原とデコちゃん(高峰秀子)を綺麗に撮っていた。

猫の具合が急に悪くなって、朝一病院に聞きにいったら休日で予約いっぱいなので、今日一日中経過観察をして全く飯を食ってなかったり異常に吐いたりしたら改めて連絡ください。と言われて、東映映画祭りを諦めて経過観察をしていたが少し飯を食い始めたし外も晴れていてyoutubeで音楽を聴いてるのにイライラしてきて一本観てきてしまった。

映画を観ている間も上原謙田中絹代に赤ちゃんを押しつけてパチンコに行ってネチネチいわれたり急に病気になって「子供をほったらかして何やってんすか?」とか医者が怒ったり、子供の夜泣きが酷くてアパートの住民中がてんやわんやになったり「わたしの前夫が置いていった子。わたしの子じゃない!」みたいな話が延々と繰り返されていて、こめかみに青筋を立て眉間に皺を寄せながら休日の映画館でコメディを楽しみ。また帰宅。飯を食っていない事を除けば今も猫は元気だ。

 

結局、この映画も是枝監督が手際悪い感じで怪物でパクっていた。いやいや、この映画を現代社会に持ってきたら野暮でくどい理屈っぽい映画になるんですし、実際、貴方は、映画内の安藤サクラや田中裕子の怖い顔を前にしてその酷評できますか?近所のスーパーのレジのおばさん(あなたの見た目ぜんぜん普通以下の普通の俺らと変わんない普通の普通のいけてないおばさんですけどもゥー?こんだけ高圧的だから学生時代はスケバンとかボディコンギャルだったかも知れないっすけど。後、俺の前の若い斎藤工みたいなイケメンの小銭出す時の仕草 オーストラリアのナマケモノくらいのゆっくりしたスローな動きなのに、サイゼリヤの絵みたいな表情でうっとりした表情でいつまででも待つわ。みたいな顔してるの何やねん?俺だけナチス収容所?俺だけが?というか、この激安スーパー自体が人体実験のガレッジセール!ガレッジセールのゴリの強制収容所の巣窟やねん!)に財布から小銭出す時に対してさえ無言のイラつき圧で気迫負けして震える手で小銭素早く準備している貴方が?といった具合で、自宅待機ってイライラするなぁ〜。男の仕事じゃねえよ?こんなもん女にやらせろ!女に!木下優樹菜とか安藤サクラみたいなヒステリックグラマーにやらせとけ!志らく師匠に女 赤ちゃんまとめて押しつけとけ!志らく師匠 ヒステリックグラマー好きやし。みたいな〜。みたいな〜。みたいな〜事をうっかり口走ったら現代社会大変でしょうね。即 射殺ー即尺。余裕しゃくしゃくで奈落。恐らく。

とにかく是枝監督の怪物。安藤サクラの顔がほんとうに怖かった。その記憶しかない。

結局、高峰秀子のキャラを現代に換算すると安藤サクラのあのキャラになるわけだから、現代社会 スピード感増したなぁ。生きづらいっす。

というか、猫 元気に喧嘩してるな。しかし、飯食ってないな。相変わらず。単にたぶん食いすぎだと思うんすよね。先生も言ってたし。ただ、先生が一応 経過観察ってるから。このようにツイッターで一日中ぐちゃぐちゃ芸能人の悪口言ってるシンママいらっしゃいますよね。そんで、何故か最近の音楽、芸能に異様に詳しい...。おそらく、イライラしながら自宅待機。子育てしながらイライラしないようにyoutube動画観て気を鎮めていらっしゃるんやろうなぁ

実際、人として正しい行いをして、脳みそが腐ったような行動をネットでしていく。そのような事は日本人として正しいようにも感じた。天皇誕生日でありました。

愚痴書きすぎて猫もこたつ戻ったようやな?しめしめ。

 

結局、映画見に行っても全然大丈夫だったなぁ...。愛情のこもった子育てって、こんな無意味な待ちの時間の連続なんだろうなぁ。

流石にこの歳になると、せっかちの俺でも怒りとかはないし待機しない方が大人として気持ち悪いし猫可愛いいから行動としては必要だった。と思うんだけど、自分のしょうもなさを無駄に見つめる時間 そのものが特に何の生産性もなく。そこは自分でも最初から分かっている事をいやいや義務として行い。かつ本当に結果として社会的意味もない事がわかり無駄に終わって解放された後に残された何に使用していいかわからない今の無駄な休日の残り時間を前に途方に暮れる社会的に無駄な俺を馬鹿にするホリエモンひろゆき麻生太郎の幻聴と闘う時間みたくなって、こういう思考回路に入りたくなくて映画観たり勉強したりブログに書いたりして猫とあまり向き合わないようにしてたんだ。みたいに思う。というか、そんなんも最初からわかっている。ただ、何も出てこない自分に向き合いたくない。本当に時間を浪費した感。これ仕事が忙しい時期を経て身体おかしくなって今だから。

そういう意味で、先週、空気階段のラジオ聴いたら、なんか強い人間だな。みたいな気がして良かった。仕事があってもなくても体力があってもなくても変わらない自分がある人間みたいな。そういうのが俺はない。最近スポーツニュース 猫と観てる時も 体力の落ちた自分と向き合いたくなくてチャンネルを変えようとしている自分と闘ってる自分がいたりする。むしろ体力が充実していた時期の職場の幻想に浸る為にハライチやオードリーのラジオを聴いている感じさえある。

 

映画って、そういうストレスを感じさせないように強い自分を維持できるように配慮されているメディアだと思う。映画は常に面白いし発見もあるが、猫も病気だし近いうちにやめないといけない。と思いながら年明けてから今までずっと観てるし、自分の体調も悪くなりながら続けながら、日常が悪くなるのと反比例的に逆に加速度的に発見がある。なんか悪魔的なのだ。